臨床動作法では、痛みを我慢して指示どおりの結果を出そうと頑張るのではなく、痛みを回避するのでもなく、ただ単に痛みを感じて、痛みに浸っていると、そのうちに痛みの感覚が変わってきて自然に少しだけ緩む、と考えています。緩めばその分だけ痛みが減り、体を動かせる範囲が広がります。
そこが、冒頭のニケの像の話に似ているかなと思ったところです。アートと向き合うということは、アートがもたらす刺激によって生じる自分の心の動きを「体験」することで、それも防衛的になるのではなくて、緩んで自分の一部として取り込んでいく方向で体験することなのだろうと思います。
心理的問題や夫婦の問題の大半も根っこは心のありようの問題です。心の動かし方は外科手術のように外から直接変えることができないので、気持ちが緩んで、結果としてその人にとってより楽な心の使い方に変化することを待つしかないのです。
その前提として気持ちを緩めるのは大切なことなのですが、「どうしたら緩められるか」と考えても緩めることはなかなかできませんが、痛みに「向き合え」ば、自分の内側から自然に変わることが多いのです。言語で行うカウンセリングの技法にも、痛みに向き合うように促す技法が多々あります。
ただ、痛みに向き合うのは痛い体験ですが、痛ければ向き合っているわけではないこととには注意が必要です。
桜花さん(仮名、32歳、派遣社員)は、夫の海斗さん(仮名、33歳、コンサルタント)の働き方があまりに家庭を無視していると感じて、口論が絶えなくなりました。売り言葉に買い言葉もあってエスカレートし、離婚届に署名捺印して、あとは寝て起きたら、区役所に出すというところまでいきましたが、数時間寝て起きたところで「お互い悪かったところを直してやり直そう」と話し合って、続けることを決めました。
桜花さんは、彼を選んで友達もいない東京にきたのだから、せめて週末のうち1日ぐらいは一緒に過ごしたいし、毎日とは言わないまでもせめて週に1、2回は一緒に夕食を食べる生活をしたいと言います。今の生活では孤独になるために東京に来たようなもので、私は譲歩して東京に来たのだから、時間を作るのは彼が譲歩すべきだ、と言います。
海斗さんからすれば、同じ会社で働いていたのだから、こうなることは当然理解していたはずだし、自分が同期で1、2を争う程の成果を上げていることが自分と結婚した理由の一つであったはずだし、一人で寂しいなら趣味を作るとかすればいいといいます。そして自分なりにはできる限り早く帰っているし普段時間が取れないからこそ、長期の休暇を頑張って取得して海外旅行に連れて行っている、ともいいます。
「お互いの悪いところを直して」という総論賛成で離婚は棚上げになったものの、各論の溝が埋まることはなく、カウンセリングにおいでになりました。