三冠馬というくくりを外してジャパンカップ名勝負を選出するならば、やはり1989年の第9回を挙げないわけにはいかないだろう。この年の競馬はオグリキャップとスーパークリーク、イナリワンの「平成三強」が主役で、ジャパンカップにも揃い踏み。さらに前年からの連覇を狙うペイザバトラーや芝2400メートルの世界レコードホルダーだったホークスターら外国馬も強力布陣だった。
レースは驚異的なハイペースで推移し、直線半ばでオーストラリアから参戦した牝馬ホーリックスが先頭に。そこへオグリキャップが大外から猛追したが、クビ差の2着までだった。ホーリックスの勝ち時計は世界新記録の2分22秒2。このレコードタイムは東京競馬場が全面改修されるまで破られることがなかった。
ジャパンカップ史上もっとも外国馬が粒ぞろいだったと言われたのは、1992年の第12回。この年の欧州年度代表馬ユーザーフレンドリーを筆頭に、同年の英ダービー馬ドクターデヴィアス、2年前の英ダービー馬クエストフォーフェイム、前年の豪年度代表馬レッツイロープに豪ダービー馬ナチュラリズムなど、参戦した7頭の外国馬は全てG1勝ち馬だった。
一方で日本馬はクラシック出走資格のなかった外国産馬ヒシマサルとせん馬レッツゴーターキンはいたが、同年のクラシック馬たちは不参戦。古馬勢も前走の天皇賞(秋)で大将格だったトウカイテイオーが惨敗していたこともあり、外国馬優勢という下馬評だった。
しかしトウカイテイオーは「奇跡の復活」を果たした。直線でナチュラリズムとの長いたたき合いを制して勝利。ジャパンカップでは父シンボリルドルフ以来、7年ぶりとなる日本馬の勝利でもあった。
以降もシングスピールとファビラスラフインの大接戦となった1996年の第16回や、エルコンドルパサーがエアグルーヴやスペシャルウィークを撃破した1998年の第18回、ディープインパクトが凱旋門賞で失格の悪夢を払しょくした2006年の第26回など、挙げていけばキリがないほどジャパンカップは名レースが多かった。