マリアンさんは、まるで私の気持ちを見透かしたかのようにニコリと微笑んで、こう言いました。「私には安心して暮らせる家があり、じゅうぶん食べていけるだけのお金もあり、健康な体もある。でも、そのどれも自分の努力で手に入れたものじゃない。手にできたのは、単に恵まれていたからよ。だから、私はその恵みをお返ししなきゃいけないの」。

 マリアンさんの言葉に、私はハッと気づきました。今まで「自分にはとてもできないな」と、尊敬する一方でどこか他人事のようにマリアンさんを見ていたこと。でも、自分にだって雨風をしのぐ家があり、明日の食べ物に困らないだけのお金があり、何よりマリアンさんより若くて丈夫な体がある。それなのに「自分にできない」はずがないだろう、ということに。

 もともとアメリカの寄付活動には、「自分にできる範囲で」が徹底しています。たくさん寄付する人ほど偉いわけではなく、貧しい中から切り崩して寄付をする人のほうが尊ばれるところがあります。寄付額は自分で選べますし、お金ではなく現物での寄付もさかんです。特に今のようなクリスマス前には、靴下や手袋などの防寒具、子どもたちのための本やおもちゃといった物品がよく受け付けられています(もちろん新品のみの受付です)。

 私の娘が通う学校では、毎年この時期、助けを必要とする子どもたちにクリスマスプレゼントを贈る活動を行っていました。各家庭から任意で数ドルずつ集めると、生徒たちはおもちゃ屋さんに行っておもちゃを選び、ラッピングし、クリスマスカードも書いて子どもたちに郵送します。今年はコロナのためギフトカードの送付に変更されたのですが、こうして小さいころから「自分にできる範囲で」できることをする大切さが教えられているように感じます。

 何より気持ちいいのは、大半の人が「自分のために」寄付をしているように見えることです。自分が受けた恵みをお返しするため、自分が気分よくなるため、自分が今後さらに恵みを受けるため──。カラッと寄付をする彼らの前では、私自身も持っていた日本人的な「偽善」とか「エゴ」だとか、「するからには高額でないと恥ずかしい」とか「他人に哀れみを抱くほど自分は偉いのか」といったみみっちい心配事はかすんでしまいます。自分がしたいから、できる範囲でする。これくらいシンプルなほうが、寄付はうまくいくのかもしれません。

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◯大井美紗子
おおい・みさこ/アメリカ在住ライター。1986年長野県生まれ。海外書き人クラブ会員。大阪大学文学部卒業後、出版社で育児書の編集者を務める。渡米を機に独立し、日経DUALやサライ.jp、ジュニアエラなどでアメリカの生活文化に関する記事を執筆している。2016年に第1子を日本で、19年に第2子をアメリカで出産。ツイッター:@misakohi

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