1990年に「追憶の雨の中」でデビュー。今年、30周年を迎えた。亡父の名前を冠した6年8カ月ぶりのアルバムには、父との別れによって芽生えた音楽への初期衝動が描かれている。AERA 2020年12月14日号に掲載された記事を紹介する。
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——「時代」や「人間」を歌ってきた福山雅治。こうした言葉は主語の大きさ故、ともすれば空虚に聞こえてしまう。しかし、福山の歌の根源にあるのは、大きな時代の流れと対峙し、ときに翻弄される「個」としての生々しい感情、心の揺らぎだ。
福山雅治(以下、福山):「クスノキ」という歌があるんです。長崎に投下された原子爆弾の爆心地から数百メートルの場所に自生している「被爆クスノキ」を歌っているんですが、そもそもこの歌を作ろうと思ったきっかけは、世の中の被爆者に対するイメージに違和感を覚えたことでした。
自分のラジオ番組で何げなく自分が被爆2世だと話したら、「福山、被爆2世であることを告白!」みたいな見出しでニュースになって……。「おや?」と思ったんです。一般の人からすると、被爆というのは未知の恐怖の対象でしかないんだなと。僕は、正しい知識を伴わずに被爆という言葉だけが独り歩きしていくことのほうがよほど恐ろしかった。自分が、当事者の視点からメッセージを発信することにこそ、社会的な意味がある。そう思ってあの曲を作りました。
——その当事者性は、一貫して揺らがない。最新アルバムのテーマは「血」。タイトルの「AKIRA」は、亡き父の名前だ。
福山:父は、僕が17歳のときにがんで他界しました。あの頃が人生で一番苦しかったと思います。父がこの世からいなくなってしまったことはもちろんですが、それ以上に、苦しむ姿を見ることに耐えられなかった。
インターネットもなかったから、家族としては病院側の言うことを信じるしかない。父は50代前半でまだ若かったので、きっと乗り越えられると当初は希望を持っていたのでしょう。でも、当時のがん治療は、QOLという考え方もまだ周知されておらず壮絶で、積極的な治療や薬の投与により父は日に日に衰弱していきました。10代の僕でも「これは治らないのでは?」とわかりました。きっとみんな、途中からわかっていたと思います。もう無理だって。でも、「治療をやめよう」と僕から提案するなんてできるはずもなく……。