——過酷な闘病生活は約1年に及んだ。母親は毎晩、父親の病院に寝泊まりするようになる。

福山:母は、仕事から帰ってくると、すぐに病院に行って、父親のベッドの横で寝ずの看病を続けていました。夜中も「痛い、痛い」と父が呻(うめ)くから、あまり眠れていなかったと思います。それでも朝、病院から帰ってくると、僕と兄の食事を欠かさず作ってくれて。それからすぐに仕事に出かけて、帰ってきたらまた病院に行って……。僕は、そんな生活を続ける母の姿をただ見ていることしかできなかった。つらかったし、腹立たしかった。自分はなんて無力なんだと。両親を助けるお金もなければ知識もない。そんな自分にいら立って、親に優しい言葉をかけることさえできなかったんです。

■セルフカウンセリング

——やり場のない憤りを、福山はギターにぶつけた。音楽を聴くことで忘れたかった。当時、何度も聴いた曲が「Mother」。ビートルズ解散後、ジョン・レノンが初のソロアルバムの1曲目に収録した曲だ。幼い頃に蒸発した父。自分を捨てた揚げ句、交通事故死した母。両親への愛憎と別れを歌ったこの曲は、当時、ビートルズの人気と比較すれば全くと言っていいほど評価されなかった。それでも福山は、ジョンの言葉に心を揺さぶられ、涙した。曲の中でジョンは繰り返す。「Mama don’t go 母さん、行かないで/Daddy come home 父さん、帰ってきて」

福山:「Mother」は、ジョンが自身の精神の救済のために書いた曲ではないかと思います。そしてあの頃の僕も、音楽の力にすがっていた。音楽が、無力感やいら立ちから僕を一時、解放してくれた。だから自分もいつかそんな音楽を作りたいと、強く憧れたんです。

——デビュー30周年を迎え、父が亡くなった年齢に近づいたいま、自分が音楽に求めるものを再確認したい。そんな決意を込めて、アルバムに父の名を付けた。

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