家の近くにあった神奈川県の東名高速の海老名サービスエリアで朝4時から9時までアルバイトし、大学の授業は2限から出席。授業が終わってから予備校へ通った。大学の友人には仮面浪人をしているとは言えず、遊びに誘われれば断らなかった。

「移動時間も含め、受験勉強に充てられる時間はせいぜい一日7時間程度でした。予備校も、時間的にも金銭的にも余裕がなく、受けられたのは現代文と英語の授業だけ。自分のわがままとはいえ、両親は心配してくれて毎日弁当代として500円くれましたが、それをケチって参考書を買っていました」

 受験が近づき、友人にも事情を話さざるを得なくなった。すると、みんなが応援してくれた。周囲の助けと強い意志で見事合格。私立大を中退し、新しい大学生活が始まった。

 一橋大では、今の職業でも生きている、「世の中に対する姿勢」を学んだと話す。最も印象に残っているのが、社会学の概論で教授が語った以下の言葉だ。

“これから世の中を客観的な視点から捉えることを学んでいくが、神の視点には立てない”

「僕は、歌う人と作る人が別々のグループで曲を書いています。歌を書くときは、客観的にならざるを得ません。だからといって、自分とは関係ないという立場に立ってしまうと、表面的なものになってしまう。歌を作る仕事は、人を感動させてやろうとか、時におこがましい気持ちになりやすい。自分が作るものに自分の考えや価値観が反映されることからは逃れられない、それを認識させられました」

■卒業後に学祭で演奏 友人が集まってくれた

 大学では友人にも恵まれ、今でも交流が続いている。大学を卒業して2年後、一橋大の学園祭に呼ばれたとき、友人たちが会場の1列目を陣取っていた。「とてもうれしかった」と話す。

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