広島などで活躍した川口和久 (c)朝日新聞社
広島などで活躍した川口和久 (c)朝日新聞社

「○○以外の指名だったら、プロには行きません!」。かつてはドラフト前にこんなセリフを口にする金の卵も少なくなかった。

 その大半は、言うまでもなく巨人志望。江川卓、元木大介、菅野智之は指名を受けた球団を拒否し、1年浪人してまで“巨人愛”を貫いた。内海哲也(現西武)、長野久義(現広島)も他球団の指名を蹴って社会人入りし、巨人が1位指名してくれるまで待ちつづけた。

 だが、その一方で、巨人以外の球団に強いこだわりを見せたドラフトの目玉も何人かいる。

 その傾向が顕著だったのは、逆指名制度が導入された1993年から2000年代にかけてのダイエー、ソフトバンクだ。

 初年度の93年、ダイエーは、逆指名枠で1位・渡辺秀一(神奈川大)、2位・小久保裕紀(青学大)を獲得したが、最速147キロの速球を武器に春夏連続出場の甲子園で“大会ナンバーワン”の名をほしいままにした平井正史(宇和島東高)も「ダイエー以外なら社会人」と3位以下での指名を熱望していた。

 だが、他球団との獲得競争に敗れ、即戦力投手の補強が急務だったオリックスが1位で強行指名。交渉難航が予想されたが、最終的に平井は「ダイエー以外には行かないと言ったのに、それでも1位指名してくれた高い評価がうれしい」と入団を承諾した。

 その裏では、井箟重慶球団代表が、同年からダイエーの代表取締役専務兼監督に就任した“球界の寝業師”根本陸夫氏に「明日のドラフトで平井を1位で指名します」と筋を通し、内諾を得ていたという。もし、事前にひとことの挨拶もなく、いきなり指名していたら、平井の交渉結果も違ったものになっていたかもしれない。

 平井は入団2年目の95年に15勝5敗27セーブを記録し、新人王、最高勝率、最優秀救援投手を獲得。阪急時代以来11年ぶり、オリックスとしての初Vに大きく貢献した。

 平井のケースとは逆に、ダイエー志望を貫き、オリックスの1位指名を拒否したのが、98年の新垣渚(沖縄水産)だ。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
“行きたい球団”以外の指名も…