天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
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クリスマスイブにアップしたインスタではご機嫌!?(天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より)
クリスマスイブにアップしたインスタではご機嫌!?(天龍源一郎公式インスタグラム(@tenryu_genichiro)より)

 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「年末年始」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。

【写真】天龍さん、なぜそんなに満面の笑み?そのワケは?

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 相撲部屋に入門する前、福井の実家での年末年始の思い出は、暮れになると親父とお袋がをついていたことだね。親父は頑丈な人だったから一人で何俵分も餅をついていて、おふくろの合いの手がかみ合わないと怒鳴ったりしてね(笑)。正月はその餅と余ったクリスマスケーキを食べながら、テレビを見てのんびり過ごしたもんだ。冬は雪がすごかったから、どこかに出かけることもあまりなかった。今思うとあれが農家の一家団欒だったんだね。

 そういえば、俺が子どもの頃は2月の旧正月も祝っていたよ。1月に正月を終えたはずなのに、2月になってもまた「あけましておめでとう」と言われるもんだから、子どもの俺はずいぶん混乱したもんだ。今では実家の方でも旧正月はやっていないんじゃないかな。俺自身もやらないし、親父たちが旧正月を祝う最後の世代だったのかもね。

 相撲部屋では12月30日まで稽古をして、31日は大掃除。年が明けると午前中は番付が上の力士から風呂に入って、昼から親方の前に並んで挨拶して、皇居に向かって一礼してから、親方からの訓示がある。それからは正月料理が並んでいるところで宴が始まるという感じだったね。

 部屋の若い衆は親方や付け人をしている関取からお年玉をもらう。十両に上がって付け人ができるとあげる側になるのが通例だったね。いい関取に付くとスポンサーも多いし、実入りもいいからお年玉もはずんでもらって、若い衆も潤うんだ。俺の時は横綱の大鵬関が若い衆全員に配っていたね。大鵬関は正月になるとスポンサーから声がかかって、あちこちのお座敷に呼ばれて大忙しだ。夜になって部屋に帰ってきて着替えを手伝っていると、懐や帯の間から祝儀袋がバタバタと落ちてくる(笑)。いろんなスポンサーからご祝儀をもらうからね。拾って集めたら本2冊分くらいの厚さがあったよ。

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天龍関はお座敷に呼ばれず、部屋でひとり飯