深谷市・旧渋沢邸「中の家」に立つ渋沢栄一氏像
深谷市・旧渋沢邸「中の家」に立つ渋沢栄一氏像
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深谷市・血洗島 諏訪神社
深谷市・血洗島 諏訪神社
渋沢氏揮毫の「七社神社」の扁額
渋沢氏揮毫の「七社神社」の扁額

 浅草寺の有名な雷門は、松下電器産業(現パナソニック)の社長・松下幸之助氏の寄進で再建され、吊るされた大きな提灯にその名が記されていることはよく知られた話である。このほか、明治以降に活躍した財界人たちは、神社仏閣の保存・維持に大いに尽力し、古き良き時代の姿を現在に留めている。

【写真】血洗島の諏訪神社

●来年の大河ドラマの主人公・渋沢栄一

 なかでも、来年NHK大河ドラマの主人公として取り上げられる渋沢栄一氏は、約500もの会社に関わったとされる多忙な人生を送りながら、文化保持に大変尽力されたことをご存じだろうか。徳川家の菩提寺である寛永寺や浅草寺の檀家総代を務めたり、延暦寺の顧問に就任したほか、増上寺の再建後援会、神社やキリスト教団体にも多大な協力を重ねている。これは信心からというより、社会公共事業への貢献という側面もあったのだろう、これらの活動は約600ほどの数にのぼるのだという。

●歴代米大統領とも会見を重ねて

 渋沢栄一氏は、幕末となる天保11(1840)年に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれた。やがて一橋慶喜(のちの徳川15代将軍)に仕え、27歳の時、パリ万国博覧会の見学とともに欧州で見聞を広めていた頃、日本は明治維新を迎えた。明治政府の官僚として数年働いたのち、民間人として各事業の立ち上げなどに貢献していく人生を91歳まで続けた人物なのである。グラント将軍(第18代)は大統領退任後の来日での面会となったのだが(来日歓迎会の接待委員長)、以後、ルーズベルト(第26代)から、タフト(第27代)、ウィルソン(第28代)、ハーディング(第29代)と歴代のアメリカ大統領とも米国で会見していて、政府要人をも凌ぐ活躍の幅広さに驚かされる。

●新・壱万円札の図からとして登場

 これほどの人物だけに、大河ドラマとして取り上げられるほど興味を持たれるのは当然かもしれない。2024年度に一新されるお札の壱万円の図柄として、渋沢栄一氏が発表されたのは2019年春のことだったが、恥ずかしながら、この時、私は氏の膨大な業績をほとんど知らず、むしろ裏面の東京駅舎の図案の方に興味をひかれたくらいだった。今回、渋沢氏の足跡を辿るにつけ、私が興味深く追いかけている神社仏閣のいくつもが、氏のおかげでどれほど助けられたのかを知った。政財界に大変な貢献をされていた影で、小さな地域の文化活動にも細かな配慮を続けていたのである。

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