――東京ドーム周辺には、かなり多くの人がいたと思いますが、モノマネを披露することに、照れや恥ずかしいという気持ちはありませんでしたか?
ありました、かなりビビってましたね(笑)。後楽園駅のトイレの個室で着替えたんですけど、恥ずかしくてしばらく外に出られませんでした。「こんな感じで出ていってどうなるんだ」「なんで全身こんなの着てんだ」「やっぱ帰ればよかった」ってすごく思いましたね(笑)。でも、早くトイレをしたい人もいるだろうし、いつまでもこもっていられないと思い、意を決して出てみたんです。そしたら、ものすごく良い反応があって、びっくりしました。トイレから出た瞬間にすれ違う人がみんな「あ!」「あ!」ってなったのを覚えています。そのまま、東京ドームの正面まで行くと、色んなメディアの人に囲まれて、写真も撮られて、取材もされて、正直めちゃくちゃ気持ちよかったです。その時、僕は素人なわけで、今までそんな注目を集めることなんてなかったですから。
――その体験があって、本格的にモノマネをやっていこうと?
そうですね。そのすぐ後は、趣味のようなかたちではありましたが、駅前や花見会場など、人が集まるところに週に1度は出没して、ネタを披露する生活を送っていました。その頃から、つねにイチローさんになること意識して、もう自宅からユニフォームを着て出かけるようになりましたね。ユニフォームのまま電車にも乗りますし、ご飯も食べにいく。家を一歩出たら、スイッチを入れることを徹底していました。「とにかくビビるな」「中身を鍛えるんだ」っていう一心でしたね。そのほうが周りもすごく驚いてくれるし、その反応が純粋に楽しかったっていうのもあります。
本格的にプロになろうと決意したのは、イチローさんが10年連続200安打を達成した2010年9月23日。奇しくもその日は、僕の誕生日でした。この偶然に、僕は運命的なものを感じ、「もうやるしかない」と思いましたね。働いていた飲食店も辞めました。不思議と迷いはなかったです。年齢も32でしたし、ここを逃したら、もう踏み出せないだろうと感じていましたから。ただ、プロを目指したものの、事務所にも在籍していなかったので、しばらくはアマチュアの路上パフォーマーのような生活を送っていました。ちゃんとお金を稼げるようになったのは2012年4月頃から。新宿のキサラというモノマネショーレストランに出演し始めてからですね。