■人をモノのように扱う人は自分自身をモノのように扱う

 以前のケースでは仕事を辞めて社会のつながりが減ったことや育児のストレスが非常に高いと思われるので、そのお話に共感しながらお聞きすることで、妻のストレスが緩み、妻の中にある夫に対する感情(愛情や怒り)の話ができ、本来、最初に解く必要がある感情、特に怒りや悲しみに向き合っていくことができたのです。

 今もそういうケースが過半ではありますが、一方でマキさんのように、ご自分の主張(契約を守れ、契約を守らない相手はいかにひどいか)の話からびくとも動かないケースが増えている感があります。

 お話ししていてわかるマキさんの聡明さからすると、出産する前はご自分も仕事でも相当実績を出したり、評価されていたりしたのではないかと思われます。それが誰も褒めてくれないワンオペ育児になって相当きついことは想像に難くありません。

 ケンカして相当ひどいことをいった経験がある人は多いと思います。しかし、その場合でもしばらくたって冷静になったり、相手のダメージを見て言い過ぎたかなと(相手には言わないまでも)気持ちがゆり戻されたりすることが多くあります。

 夫婦カウンセリングの極意の一つは、それぞれが高ストレスな状態でおいでになるので、それぞれの気持ちをまずはカウンセラーが共感することで、双方の気持ちが多少なりとも緩んだ状態になるのを待って、そこで2人にお話ししてもらうことです。

 一方、マキさんの場合は、怒っていますが、ご自分の怒りの感情の話には乗らず、高いテンションで夫の非を言い続けますし、揺り戻しも見受けられません。言ってみれば、クレーマーがクレームを言っているようなこの状態は、相手を情緒的交流がある「人」としてみると困難なコミュニケーションなので、夫を「モノ」と見て関わっているようにも思えます。

 サンダルであれば、毎日踏みつけても、地面にこすりつけてすり減らしても、自分の心が痛みません。相手が人間でもそんな感覚です。

 人によってはサンダルにも気持ちがあるかのように、履くのは仕方ないとしても優しく扱います。

 心理学的な見地でいえば、対象をどう扱うかは、その人の心のありようそのものです。つまり、人をモノのように扱う人は、その人自身が自分をモノのように扱っている、とも言えます。

 夫をモノのように扱っているマキさんは、マキさんご自分自身もモノのように扱っていることが予想されます。それは、本質的にはきついことですが、感情を感じないので、きつい感じもしないのかもしれません。

 すべての人が少しずつそういう方向に動いているというよりも、そんな傾向の方の割合が増えてきた、という感があります。その進みが、コロナ禍による高ストレス状態も影響するのでしょうけれど、10年分か20年分進んだ感じがするのです。

 世の中はモノ化が否応なく進んでいきますが、夫婦だけはそうでない関係性であれたらいいのにと思うことが多い1年でした。

 よいお年をお迎えください。

                        (文責・西澤寿樹)

※事例は、事実をもとに再構成しています。

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西澤寿樹

西澤寿樹

西澤寿樹(にしざわ・としき)/1964年、長野県生まれ。臨床心理士、カウンセラー。女性と夫婦のためのカウンセリングルーム「@はあと・くりにっく」(東京・渋谷)で多くのカップルから相談を受ける。経営者、医療関係者、アーティスト等のクライアントを多く抱える。 慶應義塾大学経営管理研究科修士課程修了、青山学院大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程単位取得退学。戦略コンサルティング会社、証券会社勤務を経て現職

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