仲村は、芝居で言うところの長台詞を、ゆっくりとした口調ではあるけれど、一息に話す。一度離婚していて、子供がふたりいる。日立交通に入る前にも、車の運転をする仕事をやっていた。
「離婚するまでは、ずっとパートで働いていましたけれど、私、同じ職場に女性がたくさんいる事務の仕事が苦手なんです。どこにでもお局さんみたいな人がいて、プライバシーを根堀り葉掘り聞かれたり、仕事のやり方を批判されたりするのがどうも苦手で、事務のパートは少しだけ通ってやめてしまいました。その後は、スーパーの鮮魚売り場で魚をさばくパートを長くやりました。真面目にやっていたのですが、ある日、職場のリーダー格だった女性がやめてしまって、彼女がやっていた仕事を私がやらなくてはならなくなってしまったのです。それがとても大変な仕事で、私、半年ぐらいで鬱状態になってしまって、結局、その仕事も辞めてしまいました」
スーパーのパートを辞めた仲村は、今度はある検査会社にパートで入る。車でいくつかの病院を回っては病院で採決された血液検体を回収し、検査会社まで持ち帰る仕事だ。この仕事が、後にタクシードライバーになる伏線となるわけだが、仲村は別段車の運転が好きだったわけではない。煩わしい人間関係がないことが魅力だった。
「要するに運び屋ですね。車に乗るのは私ひとりなので、一度会社を出てしまえばひとりきりの世界。病院とのやり取りはありましたけれど、人間関係はとても楽でした。毎日、決まったルートを通って、同じ病院を回ってくるだけなので、新しい道を覚える必要もなくて楽でした」
その点は、同じ車の運転といっても、タクシーとはまったく違う。
仲村に「やめろ」と言ったもうひとりの客も、やはり女性だった。彼女は仲村の運転に、ほとんど切れてしまったという。
「そのお客様はスタイリストをなさっているそうで、撮影現場に急いで行かなくちゃならないとおっしゃっていました。走り出してすぐにクランク(直角のカーブがふたつ連続して続く場所)にはまってしまって、方向がよく分からないまま抜け出そうとバックをしたら、工事現場の足場に車を擦ってしまったんです。もう、パニック状態になってしまって……。