息子さんの大学が自慢できないのなら、代わりに自分が有名大学に入って、近所の人達に自慢することは、僕にはとても自然なことだと感じるのですが。
ジャスミンさんの言うように、学歴は依然として「大切な評価軸なのが現実」だと僕も思います。
問題は「なんの評価軸か?」ということです。
ジャスミンさんが考える「評価軸」は、「世間の評判」とか「近所に自慢できるかどうか」ということでしょうか?
ジャスミンさんの相談からは、例えば「息子は○○会社を志望している。けれど、この会社の採用する学生の出身大学はあきらかに△△大学以上のレベルに集中している。このままだと、息子は自分の希望がかなわない。どうしたらいいでしょう?」というような、息子さんの幸せを問題にしている感じがしないのです。
または、「息子は○○を専攻したいのに、入学した大学の学部では教授を含めて、じつに不十分な体制でしかない。どうしたらいいですか?」という、息子さんの要望を問題にしている相談にも思えません。
または、「無名の大学に入った息子は、手に職をつけて○○になりたいと言っている。○○という職業は学歴は問題ないんでしょうか?」という、息子さんの希望を問題にしている相談にも思えません。
ジャスミンさんが問題にしているのは、とにかく近所の評判のように思えます。
「人は学歴じゃない」という言い方をジャスミンさんは道徳とか慰め、建前だと感じているのでしょう。
けれど、ビジネスの現場では、「東大を出ているのに使えない」とか「早稲田のくせに」「慶応なのが信じられない」なんて言い方と共に「人は学歴じゃない」と言われたりします。ついつい、有名大学を出ているから優秀な奴だと思っていたらそうでもない、本当に優秀かどうかと偏差値は関係ないんだとか、偏差値は高いかもしれないけどコミュニケーション能力が低すぎる、本当に人は学歴じゃないんだなあ、なんて言い方です。
さらに、終身雇用制が崩壊し、年功序列を守っていた大企業が続々と倒産・吸収合併を迎えている今の時代、高学歴だから仕事ができなくても評価軸は揺るがず、定年までぬくぬくと安泰だ、なんて職場はどこにも、ないと思います。