高木さんが会いに行くと、「よお!」と手を上げ、別れ際は「車に気をつけろよ」「健康第一だぞ」と父親は元気なときから紋切り型だった。そのことに高木さんは、どこか他人行儀なよそよそしさを感じ、残念な気持ちを隠しきれない。
「父はもともと、自分のことをあまり話したがらない人でした。私は、父のことは嫌いではありませんが、とても遠い感じがします。だけどもちろん尊敬しているし、感謝もあります。反面教師にしているのは、家族に『遺言』的なものを遺さなかったことです。復活するつもりでもいい。テンプレートでもいいから、『俺はまだ生きる。生きるつもりだが、万が一のときは母さんを頼むぞ』みたいな言葉がない。別れの挨拶がないのは、料理を作ってもらったのに『ごちそうさま』を言わないのに似ている気がします。遺していく家族に対して、最後の責任が果たされていなかったように感じるのです」
高木さんは、「父は、アイデンティティが保てないほどの苦しみに襲われることも、予想していなかったように思う」と語る。
「苦しむ姿を見せるのは仕方ない。だけどもしも『ありがとう』『さよなら』という場面があったなら、私が父に手を合わせるときに思い出すのは、その場面の父の姿だったと思います…」
■理想の死に方
最後に高木さんに、自分が死ぬときは、どういう死に方をしたいかたずねた。
「『独りよがりではない、後悔のない死に方』です。例えば隕石が落ちてきて死んだら、私自身『仕方ない』と思えるし、親しい人たちもそう思ってくれるはず。しかし、死につながる病気や怪我を抱えながら、『俺は大丈夫だ。絶対に復活する』と言って誰にも何も伝えずに亡くなるのは無責任。実現可能なレベルでの、最善を尽くすべきだと思うのです」
高木さんは、「まだ余命宣告されたことがないから言えるのかもしれませんが」と断りを入れた上で、「普段の生に責任を持って生きていたい」と力を込めた。つまり父親は、「自分の生に責任を持っていなかった」と高木さんはいう。
「父は死を、“自分の死”としてしか捉えていませんでした。父の死は私たち家族にとって“家族の死”であり、定年はしていましたが、“仕事仲間や友だちの死”でもあったはずだと思うのです」
さらに高木さんは、「健康な頃から死をタブー視せず、死に対して覚悟を持って生きたい」という。確かに、死をタブー視すると家族に変な配慮をさせてしまう。父親の場合も、家族がメンタルに配慮してはっきり余命を伝えなかったために、ピリオドが打てなかった可能性もある。
「自分の死はもちろん、親しい人の死でも、最低限想定して生きたいと思います。それでも、父のステージ4を知ったときには動揺したので、どれだけ備えても動揺はするでしょう。しかし、死の宣告を受けるときや、死に至るときは、自分が消失するだけではなく、周りにもショックやストレスを与えるということ。人間社会で生きている限り、『自分の死は自分だけの死ではない』と思って生きるべきということを念頭に置いて、生きていこうと思っています」
高木さんは、父親の死を経験したからこそ、母親にはタブーを取り払い、「人間はいつかは死ぬんだから、今のうちにやりたいことをやっておきなよ」と言えるようになった。
ひと昔前は、胃がんなのに胃潰瘍だと言われて亡くなるケースも少なくなかった。
理想の死に方は人それぞれだが、死を前にして、心や持ち物の整理をして死ぬのと、それをせずに死ぬのならどちらがいいだろう?
「死んだ後のことなど…」と思わず、一度向き合ってみてはどうだろうか。
(文・旦木瑞穂)