親の背を見て子は育つ。子どもは親の生き様から学ぶという意味だとすれば、おそらく死に様にも同様なことがいえるだろう。だが、死に方を親から学ぶのは難しい時代だ。元気な頃から死後について話し合うのははばかられるし、離れて暮らしていればその機会すら得られない。しかし、死は誰にも必ず訪れる。「親のような死に方はしたくない」という人がいる。「親の死」を反面教師にする人は、親を看取るまでに何を感じ、何を学び取ったのか。
親の死に目の後にしか得られない、先の話に耳を傾けてみたい。
■元自衛官の父親の異変
「お義父さん、さっきからずっとしゃっくりしてない?」
こう妻が言ったのは、2010年の年末のことだった。東海圏にある実家に夫婦で帰省し、両親と夕食を食べた後、父親が洗面所に立ったまま、ずっとしゃっくりをしていたのだ。
現在関東在住の高木大樹さん(仮名・40代)は気にもとめなかったが、妻が「病院へ行ったほうがいいよ」と言うので、高木さんも両親に受診を勧めた。
当時、高木さんの父親は70歳。母親は66歳。高木さんは月に1回、実家に電話をかけて両親の様子を伺っていたが、父親は一向に病院へ行く気配がない。高木さんが受診を促しても、決まって「俺は自衛隊で鍛えられてきたから健康には自信がある。心配いらん」と言われるだけだった。
しかしその後、2012年5月に帰省したが、高木さんから見ても、父親は明らかに調子が悪そうだった。妻の両親との会食時、大好きな刺し身もお酒も進まず、会話もぎこちない。高木さんは改めて受診を促して帰った。
6月に電話をすると、父親の方から「ちょっと胃の調子がおかしいから、検査に行ってくる」と言った。
そんなある日、突然母親から電話がかかってきた。「お父さん、病院へ行って検査してきたんだけど、先生から電話があって、『家族に説明があるからすぐに来てほしい』って言うの。1人だと不安だから来てくれない?」
高木さんは嫌な予感がした。
すぐに新幹線に乗り、母親と病院で落ち合うと、医師は言った。「お父さんはステージ4の食道がんです。おそらく半年保たないでしょう」。
母親は、「お父さんには余命は伝えないで」と言う。そのため高木さんは、「末期の食道がんらしいから厳しいよ」とだけ父親に伝えた。
高木さんは仕事があるため、その足で関東へ戻る。帰りの新幹線の中で、その日病院に来られなかった姉に電話した。
「姉は泣いていました。新幹線のデッキでの通話は電波が悪く、よく途切れましたが、何度途切れてもすぐにかけ直したくてたまりませんでした。冷静に考えれば、新幹線を降りてからゆっくり話せば良かったと思いますが、今思えば、そのくらい動揺していたのだと思います」(高木さん、以下同)