1993年、原爆100個分のプルトニウムをフランスから日本に運んだことで、国際的にも大きな注目を集めた輸送船「あかつき丸」。厳しい「情報統制」が敷かれるなか、動燃は「極秘工作」を企てていた。旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)が行ってきた「工作」の歴史が記録された「西村ファイル」をもとに、ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が、その実態を暴く。

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 極秘で行われるはずだったプルトニウム輸送だが、フランス側が一定の情報を公開したことや、環境保護団体グリーンピースが船やヘリで「あかつき丸」を追尾して航路を公表したことで、計画は狂っていく。

 1992年11月27日には、読売新聞が「あかつき丸」の帰港先が茨城・東海港だとスクープ報道。動燃が関係各所に説明に回ると、何とも滑稽なやり取りが交わされた。

〈県としては「PNC(動燃の略称、以下同)から何も聞いていない」ことで統一する〉(県庁幹部)
〈何も聞いていないことで通す。国、PNCへクレームをつけたことにする〉(東海村企画課長)
〈我々は関知していないとの姿勢を通す(理由は原電はウソをつきたくないことから)〉(原電幹部)

 地元自治体や電力会社は真相を知っていながら、必死で「知らないふり」を演じていたのだ。特に東海港の持ち主である原電(日本原子力発電)は、港の使用契約をめぐって事前に動燃と綿密に打ち合わせた記録も残っていた。その記録は最重要の「極秘」扱いで、「関知していない」ことなどあり得ない。「情報管理」の名の下で「ウソ」の口裏合わせをしていたのだ。

週刊朝日 2013年4月12日号

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