山口凌河選手(24)、山口文子さん(58)/山口(左、関彰商事所属)は攻撃力が強みのゴールボール日本代表内定選手。母の文子は、好奇心旺盛な山口が「やりたい」ということをかなえるために奔走し、和太鼓や三味線、三線、柔道など様々な挑戦を後押し、温かく見守ってきた(撮影/写真部・小黒冴夏)
山口凌河選手(24)、山口文子さん(58)/山口(左、関彰商事所属)は攻撃力が強みのゴールボール日本代表内定選手。母の文子は、好奇心旺盛な山口が「やりたい」ということをかなえるために奔走し、和太鼓や三味線、三線、柔道など様々な挑戦を後押し、温かく見守ってきた(撮影/写真部・小黒冴夏)
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(c)RyoICHIKAWA/JapanGoalBallAssociation
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 東京五輪・パラリンピックの開催に向けて、支えてくれる家族とともに選手たちは努力を続けている。AERA 2021年2月1日号で、パラアスリートとその家族が、家族だけが知る歴史や苦悩を語った。

【写真】プレー中の山口凌河さん

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 しーんと静まり返った体育館でアイシェードをつけた山口凌河がボールを投げる。そのスピードに子どもたちから大きな歓声が上がった。小学校でのゴールボール体験の一コマだ。

 野球少年だった山口は中学2年の終わりに「レーベル遺伝性視神経症」を発症。わずか半年で視力のほとんどを失う。息子の病気が、母親からの遺伝が原因のレーベル病だと知らされた山口の母・文子は、大きなショックを受ける。

「代わってやりたかったし、自分を責めても仕方がないけれど、とにかく責めました」

 反抗期も重なり、気持ちの整理がつかない山口からきつい言葉を浴びせられたこともあった。だが、文子にとってそれ以上につらかったのは、中学3年になり、黒板の文字が見えない、でも点字もできないという山口に学校での居場所がなくなってしまったことだという。

 両親は点字を教えてくれる人や受験対策をしてくれる塾を探して奔走し、山口は盲学校高等部に進学。そこで、クラブ活動のひとつだったゴールボールに出合った。顧問は、日本代表のキャプテンでエースの伊藤雅敏だった。伊藤に憧れ、野球に代わって打ち込むスポーツを見つけた山口は、相手ゴールを狙って中に鈴の入ったボールを転がし合うゴールボールにすぐに夢中になる。その姿を文子はほっとしながら見ていた。

「大好きな野球ができなくなったことが一番かわいそうだったので、運動していること自体がとてもうれしかったですね」

 そしてゴールボールは、山口が自分の障害を受け入れるきっかけにもなった。野球経験のある山口は順調に力をつけ、やがて代表の練習にも呼ばれる。そこで練習会場まで一人で来るなど自立した他の代表選手の姿に、自分もそうなりたいと強く思うようになり、それまであまり熱心ではなかった点字や白杖の訓練を積極的に行うようになっていった。

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