50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「修行」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
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俺の実家は農家で、思い返せばおやじは子どもの俺に嶋田家の長男として農家の修行をさせていたね。俺は福井の田舎で自由奔放に育ったのではなく、家の裏にある嶋田家の山に入って木の伐採を手伝ったり、田畑の見回りに同行して「ここからここまでが嶋田家の畑で~」と境界線を教えられたりと、日夜、農家の長男としての実地教育を受けて育ったんだ。
夏になると、葉タバコの栽培もしていたから大変だったね。葉タバコは小学生の背丈ほどに成長するし、風を通さないから畑の中は蒸し暑い。さらに、足元にはマムシなんかの蛇がとぐろを巻いていてね。そんな環境で葉っぱの剪定(せんてい)をやるんだよ。当時はほとんどが手作業。一番高いところの葉っぱはニコチンが強くてハイライトなどの商品になるんだ。その葉っぱに栄養をやるために、下の葉っぱを剪定してね。それがヤニ臭くて、手にも臭いがついて嫌だったよ。そのせいかな? おやじはタバコを吸わなかったし、俺も特に吸いたいとも思わず、初めて吸ったのは50歳を過ぎてからで、しかもそれから5~6年の間だけ。なぜ吸い始めたかって? カッコつけようと思ったんだよ(笑)。初めて吸ったときは頭がクラクラして、「これは酒よりも調子がいいぞ!」と思って、すぐにショートホープにしたもんだよ。
さて、農家は秋になると稲刈りだ。真っ暗になっても、月明かりの中で稲を乾かす作業を延々とやったもんだ。ただ、おやじは相撲好きだったから、稲刈りのシーズンでも秋場所が始まると作業を祖父母やおふくろに任せて、俺を連れて相撲を見に帰るんだよ(笑)。あの頃は朝汐、若乃花、栃錦らがいた時代だね。相撲が始まると農作業を途中で切り上げられるし、相撲の時だけはいつも隣に座らせて優しいおやじというイメージで、相撲は俺にとっていい思い出。だから俺も相撲の世界に抵抗なく入れたのかもしれないな。