それに嫌だったのは、ドリーが俺に教えるとき「ジャンボは3カ月で教えることがなくなった」「ジャンボは天才だ」と、なにかとジャンボと比較されたことだね。馬場さんから「天龍はジャンボの次にスターのなる奴だ」と聞かされていたらしく、ドリーも戸惑ったみたいだ。馬場のところのボーイだからちゃんと育てなきゃいけないって思いもあっただろう。それでも「プロレスは投げられても負けじゃない。相手に身をゆだねることがスタミナを温存するポイントだ」と教えてもらって、俺もずいぶん楽になった。どうやら、俺の前に柔道からプロレスに転向したアントン・ヘーシンクを教えていたんだが、ヘーシンクは投げられたり、倒されたりすることにものすごく抵抗があって苦労したみたいだ。だから俺には諭すように丁寧に優しく教えてくれたんだね。

 ドリーに教えてもらえない間はあまりにもやることがなくて、ずっと腹筋ローラーで鍛えたり、ブリッジの訓練をしたりしていた。おかげで腹筋ローラーは300回は軽くこなせるようになったし、ブリッジは鼻がつくまでになった。相撲出身のレスラーでブリッジで鼻がつくのは俺くらいだったんじゃないかな。やることがなくて鍛えていたおかげで、長く現役を続けられる基礎になったんじゃないかと、今になって思うよ。だって、ジャンボのエグいバックドロップをあれだけ食らって、まだ生きているんだからな! ドリーに放っておかれた賜物だ(笑)。

 そして現在の俺は、修行というよりもみんなに支えられて生かされているという思いが強い。若いときは一人でも生きていけると思っていたけど、年を取ると相互扶助で生きることの大切さを実感する。早くに亡くなったジャンボやロッキー羽田といった人たちのことを思うと、より生かされているという思いは強い。ただね、神様に言いたいのは、長生きしていると恥をかいたり、軋轢(あつれき)があったりと、いいことだけじゃないよということだよ。ぜいたくな悩みでしかないんだけど、亡くなった人は当時のままで記憶に残るけど、今の俺は人前に出るときも杖をついたりして「天龍もこんなになっちゃって……」と思われたり、なかなか難しいところもあるね。天龍は長生きしていいなと思われるだろうけど、ときどき忸怩(じくじ)たる思いをすることもある。こんな話をしていると「天龍がまた、亡くなった人のことを言って……」と思われるかな(苦笑)。ま、聖人君子はいないってことだね。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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