展示では、まず戦前の少女雑誌から戦後の少女マンガ誌に至る変遷を追いながら、今も人気の中原淳一や松本かつぢらの仕事を紹介する。50年代後半になるとバレエマンガが大流行した。もちろん手塚治虫が描いた作品を読んで、マンガ家を志した人は多い。
他にもオードリー・ヘップバーンをはじめとする映画の流行も影響を与えた。登場人物を印象づける「瞳の中に十字の光を描く」など、少女マンガならではの表現も洗練されていく。
スタイル画で絶大な人気を誇る牧美也子さんが描く主人公のファッションはマンガの外にまで影響を与えた。連載作品の主人公が着る、牧さんがデザインした洋服を読者1人にプレゼントする懸賞まであった。
読者が憧れる、キラキラと輝く夢のかけらを集めたのが、少女マンガだったのだ。
■タブーに果敢に挑戦
同時に作家たちは様々なタブーと闘うことになった。例えば当時は恋愛を描くことは憚(はばか)られる雰囲気があったという。水野さんは言う。
「その頃、一番描きたかったのは文学や映画にあるようなスケールの大きな物語、男性と女性のロマンスの世界でした」
そこで水野さんは「星のたてごと」で、ラブロマンスを中心とした長編マンガを描く。同作は大人気となり、「その後は少しずつロマンスが解禁されたように思います。ロマンスでなければ少女マンガではないというような波が始まったのです」(水野さん)。
他にも「健気な主人公」が良いとされていた中で、ちばてつやさん(82)は活発でおてんばな女の子を描いて人気を博した。わたなべまさこさん(91)は、「原色を使うように」と編集者に言われても、「絶対に嫌!」と淡い色彩を貫いた。
「1970年代に新しいマンガ家が登場して、少女マンガの世界を変えた」という説明をよく見る。70年代以降に、突然、少女マンガが変わったような印象で語られることが多かったのだ。
だが本展を見ると、新しい表現、「革命」はそれより前からずっと続いていた──とわかるはずだ。少女マンガの地平が始まったところはどこか、その源泉に触れてみてほしい。(一部敬称略)(ライター・矢内裕子)
※AERA 2021年3月8日号