瞳の中に星が輝き、少女たちが生き生きと活躍する──世界に冠たる、少女マンガの成立やその発展過程をマンガ家自身が語った展覧会が開催中だ。AERA 2021年3月8日号では、「少女マンガはどこからきたの?」展の関係者を取材した。
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今や海外でも翻訳されている少女マンガは、どのように始まったのだろうか? その秘密に迫る展覧会「少女マンガはどこからきたの?」展が、明治大学の米沢嘉博記念図書館(3月8日まで)とウェブで開催中だ。
実は少年マンガに比べ、少女マンガの成立期についての記録は少ないという。男性マンガ家は自伝や研究書が出ているが、女性マンガ家の出版物が少なかったこともある。こうした状況を憂えたのがマンガ家の水野英子さん(81)だ。同展は水野さんの呼びかけで始まった研究会から生まれた。
「少女マンガでは手塚治虫先生の『リボンの騎士』から池田理代子さんの『ベルサイユのばら』の間にある、少女マンガが形成された重要な20年間の歴史がほとんど残されていません。初期の少女マンガに関する記録を当事者として残しておきたかったのです」(水野さん)
■少女マンガの誕生
水野さんの提案に上田トシコ(故人)、むれあきこ、わたなべまさこ、巴里夫(故人)、高橋真琴、今村洋子、ちばてつや、牧美也子、望月あきら、花村えい子(故人)、北島洋子──と水野さんを含め12人のマンガ家が集まり、研究会「少女マンガを語る会」(以下「語る会」)がスタート。1999年から翌年にかけ、4回開かれた。
本展を担当した米沢嘉博記念図書館のヤマダトモコさんは「『語る会』のおかげで、当時のマンガ制作の現場に携わった方たちの貴重な証言が明らかになった」と言う。
「昭和初期から、少女を主人公にした、少女雑誌に掲載されたマンガは存在します。本展では、それらを踏まえた上で、『少女マンガというジャンル』が成立した時期は50年代だと考えました。『語る会』に参加されたのは、50~60年代にはすでに第一線で活躍されていた方々なので、当時の様子が詳しくわかりました」(ヤマダさん)