三浦:「わからないです」と言ったら、「そんなことどうでもいいから」って2人は勝手に分娩室の中に入って行っちゃう。僕は事前に「お2人が分娩室に入ってくるシーンを撮りたいので、まずは僕を分娩室に入れてください。その後、ゆっくり入ってきてください」と打ち合わせをしていたのに、そんなのもう全部無視です。僕が2人に続いて分娩室に入ると、「おばあちゃん」になった2人はもう赤ちゃんを代わる代わる抱っこして「可愛い、可愛い」のオンパレードです。僕が「写真を撮らせてください」とお願いしても、2人は赤ちゃんに夢中で暗い室内でユサユサ動くから写真がうまく撮れないんです。打ち合わせと全然違う。
佐々:わかるなあ。フィクションではなかなか考えつかないですよね。『紙つなげ!』では、解体の決まった家に向かって家族全員で頭を下げるシーンがあって、それは書き手の私にも、思いもよらない光景でした。人間のさりげない動作の中に、その人が一番大事にしているものがあらわになる瞬間がある。その人のすべてを知っているわけではないので完璧に記述するのは不可能ですが、ふとしたところで漏らす言葉や、その人の大事にしている持ち物ひとつがその人の生きざまを語ることがあります。それは、やっぱりノンフィクションの中でとても大事なことのような気がします。
三浦:そうなんです。で、その後、出産を終えた女性の方を振り向いたら、そこには信じられない光景があって。出産でくたくたになった女性の頭の両脇には、津波で亡くなった夫の位牌と遺影が置かれていた。それを見たとき、僕は「シャッターを押していいのかな」と悩んだ。でもそれこそがリアルなんです。2人のおばあちゃんたちが赤ちゃんを抱いてワッショイワッショイやっている近くで、子どもを産み落とした女性が亡くなった夫の位牌と遺影に挟まれて目を閉じている。そんな風景を撮影していると、不思議と涙が出てくるんですよね。「生」と「死」の境目のようなものを感じて。赤ちゃんはもうアイドル級にかわいくて、生まれた瞬間から目がとっても大きくて、しかもしっかりと見開いて笑っているんです。普通、赤ちゃんがギャーッと泣いていて、みんながワーッと笑っているのが出産のシーンじゃないですか。でも、それが全然逆なんです。看護師らがボロボロ泣いている。おばあちゃんもボロボロボロボロ泣いている。赤ちゃんだけが笑っているんですよ。
佐々:『災害特派員』の中に収録された写真はどれも胸を打ちますが、この写真もいい。愛する人を失って生きていくのはつらくて、苦しい。それでも人生は素晴らしいと思わせてくれる。
三浦:数万人が亡くなった絶望的な闇の中に、そういう「光」が差し込むシーンも確かにあった。そんな「語られることのないリアル」を、僕は『災害特派員』を世に出すことによって、しっかりと後世に伝えたかったんです。