ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、美大受験について。
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昭和四十四年──。年が明けてすぐ、わたしは父親の船を降り、また京都美大の受験勉強をはじめた。三回目の受験だし、これで落ちたら、あとはない。海技免状をとってほんものの船員にならないといけないという恐れと悲壮感で足の裏がカサカサになったのは、水虫だったのかもしれない。
なにがなんでも京都美大に入らんとあかん──。倍率が三十倍を超えるデザイン科をやめて、彫刻科を受けようと決めた。彫刻科は十倍超えだが、実技の予備校のときの友だちが現役で彫刻科に入学していたから、彫刻のなんたるかを少しは教えてもらえるかもしれないという希望もあった。
その友だち・Kは山科のアパートにいたから、わたしは頼んで、そこにころがりこんだ。Kが美大に行っているときは学科の勉強、Kが帰ってくると抽象彫刻の勉強(彫刻科の前々年の実技試験は、粘土で『生命を感じさせる有機体』、前年は『円柱の分割』を作り、ほかに構造的な想像画、『吊り構造の橋』や『螺旋階段』を描けというものだった)と、生涯でもっとも真剣に勉強し、一カ月後に試験の日を迎えた(Kにはほんと、世話になった。彼は彫刻科の院を出て私大の教授になり、いまも制作をつづけているようだ)。
学科試験は美大本館の仮設校舎で受けた。そこで定員十人に対する百人超の志望者が半分になり、数日後、約五十人が智積院の墓地のそばにある、分教場のような彫刻科の木造校舎で、三班に分けられて実技試験にのぞんだのだが……。
驚いたことに、課題は抽象彫刻ではなく、具象彫刻だった。部屋の真ん中にテーブルが配され、その上に白いウサギがいる。ウサギはもちろん生きていて、鼻と口をもぞもぞさせていた。受験生には各々、丈の高い制作台が用意され、部屋の隅には大量の粘土が置かれていた。
制作時間は四時間くらいだったと思う。ウサギは毛むくじゃらで、ただただ丸いから、造形的にアクセントがない。けっこう動きまわるし、耳の向きもしょっちゅう変わる。わたしはウサギの毛の下にある筋肉を想像し、その生命感を表現するよう心がけた。完成したときはへとへとだったが、なんとかウサギらしくは見えると安堵した。