4月2日、有吉弘行と夏目三久の結婚が発表された。長く独身を貫いていた男性芸人が結婚すると、世間では驚きと戸惑い混じりの祝福の声が飛び交うことが多い。ナインティナインの岡村隆史の結婚のときには特にそれを強く感じた。
今回も独身男性芸人の結婚ではあるのだが、世間の反応は少し違うような気がする。岡村は今田耕司率いる独身男性芸人の集まり「アローン会」の一員でもあった。そこには「いい歳して結婚できない男の悲哀」を自らネタにするという要素があった。
だが、有吉にはそのような「結婚できない男」という印象はあまりない。むしろ、有吉という存在と結婚という概念が結びつかない、という感じの方が強かった。だからこそ、世間では別の意味での驚きがあったのだろう。
2008年、毒舌芸人として頭角を現してきた頃の有吉にインタビューをしたことがある。そのときの印象としては、よく笑うし愛想が良くて気さくではあるのだが、一定のラインより先には踏み込ませないような警戒心の強さを感じた。
しかし、受け答えの内容は核心をついたものであり、上っ面で耳ざわりのいいことを答えているという感じでもない。のちに、冠番組をたくさん持つような売れっ子になってから再度対面したこともあるが、印象はほとんど変わらなかった。
芸能人になるような人間の多くは、多かれ少なかれ自我が肥大していて、自分を世界の中心だと思っているようなところがある。天性のスターと呼ばれるような人は、その自意識そのものが大衆に愛されている。
しかし、有吉というタレントには、そのような肥大した自我がほとんど感じられない。彼が自分の内面を探られることに異様なほどの警戒心を持つのは、見せたくない何かを隠しているからではなく、見せるような内面がそもそも存在しないからではないか。
「外面がいい」という言葉は普通は悪い意味で使われるが、有吉はいい意味で外面がいいタレントである。いまやテレビに出る芸人としては並ぶ者がいないほどの売れっ子であり、冠番組をたくさん持っている。MCとして番組を仕切り、スタッフからの信頼も厚い。