自分のメッセージに対して、「いいね」をくれたり、「わかる」と書き込んでくれる人がいるとうれしかった。萌さんは引きこもり中、周囲の人間には心を閉ざしていたが、誰かとわかり合いたいという気持ちは抱いていたのだ。

 ふりかえれば、萌さんは、小さいころからおとなしい子だった。学校の勉強についていけず、いじめっ子たちにからかわれることも多かったので、仮病を使ってよく学校を休んでいたという家で過ごす長い時間、なぐさめになったのは動物の人形のドールハウス。ドールハウスでひとり遊びをしているひとときは、嫌なことを忘れることができた。中学になっても、萌さんはドールハウスを手放すことができず、大切にしていたという。

■   もうすぐ30代 さすがに動かないとまずい

 そんな日々をだらだらと過ごすうちに、1年半が経っていた。代わり映えのない毎日だったが、徐々に精神状態に変化が生じていた。

「元々あまりなかった自信が、更に失われていきました。環境を変えるのが大事と聞きましたが、お手伝いもやってこなかったから家事は一切できないし、一人暮らしをする自信はない。このまままでは自立できる気がしないから、『無理矢理にでも寮や施設に入れて欲しい』と思うこともありました。でも自分からは親に言えなかった。そこまでの覚悟はなかった」

 もうすぐ自分は30代に突入する。猛烈に焦りが湧いてきて、萌さんは現実の世界を直視した。

「さすがにまずい、とにかく何かひとつでも動かないと」

 そんな思いで「ニート支援」という言葉でネット検索しているときに、偶然、地元で「コーチングで引きこもりやニートの社会復帰を支援」とうたって活動をしているサポート団体を見つけた。コーチの人たちの講演会があるというので、勇気を出して参加希望のメールを出した。

「メールを出すだけなのに、それでもすごく緊張しました」

 講演会に行ってみてコーチの人の話を聞くと「この人たちなら、私の話を聞いてもらえるかも」と感じ、勢いで面談を申し込んだ。

「あのとき思い切って行動していなかったら、きっと今もあのまま、部屋にずっといるだけだったと思います」

 と萌さんは振り返る。

 萌さんがサポートを求めた「福岡わかもの就労支援プロジェクト」では、ひとりひとりに「コーチ」と呼ばれる担当者がつき、面談を重ねながら社会復帰を目指す。このコーチの存在が萌さんにとっては大きかった。自分のすべてをさらけ出して話ができる相手となり、結果として引きこもりを抜け出すことができた。

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社会復帰は本人や家族だけでは難しい