7月からTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉に参加する見通しの日本。参加を目前に控えた今になっても、「食の安全」が守られないのでは、との不安の声は尽きない。元農水官僚で東京大学大学院の鈴木宣弘教授(農業経済学)は言う。

「アメリカなどから、日本の食品に対する安全基準が、非関税障壁だとして大幅に緩めることを強制される。その結果、危険な食品が大量に入ってくる恐れが十分にあります」

 ここ1年分だけでも、TPPの交渉参加国からの輸入品には多くの食品衛生法違反事例がある。日本にTPP参加を強く迫ったとされるアメリカには220件の違反事例があった。しかし、それだけで危険だと判断することもできないようだ。

『TPPおばけ騒動と黒幕』の著書がある元農水官僚でキヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は、「TPPで輸入食品の安全性が下がることはありえません」と明言する。

「なぜなら、貿易上の取り決めであるSPS協定と安全基準であるADI(一日摂取許容量)がありますから」

 SPS協定とは、WTO(世界貿易機関)が各国に認めている権利で、「科学的な根拠」がある場合、国際基準より自国の基準を厳しくできる。今年4月のTPPの交渉参加に向けた「日米合意」でも、SPS協定に基づいて交渉を行うと再確認されている。

 それでも、SPS協定の有効性についての不信感は根強い。残留農薬や添加物の基準が、日本とアメリカで異なるケースは多い。そこで、日本の方がより厳しい基準の場合、緩いアメリカの基準にまで下げることを求められるのでは、という警戒感が広がっているのだ。

 たとえば、クロルピリホスメチルという殺虫剤の米に対する基準は、日本が0.1ppmであるのに対し、アメリカは6ppmと実に60倍もある。この場合でも緩いアメリカの基準に日本が合わせざるを得ないのでは、というのである。

 アメリカはアメリカなりの合理的理由を持って基準を設けている。日本がいくら「科学的な根拠」を示しても、SPS協定が機能せず、アメリカに引きずられるというのだ。

 一方、こうした解釈はADIと農薬などの基準に対する無知が原因だと、山下氏は指摘する。

 ADIとは、ある農薬や添加物について、生涯にわたって毎日食べても危険のない一日当たりの「総量」だ。マウスやラットなど2種類以上の動物に、農薬や添加物を投与し続けることなどからはじき出される。算出方法は世界共通なので、バラツキはあるものの、各国でほぼ同じになるという。またADIは総量なので、各食品あたりの基準は、各国の食料の消費量に応じて決まる。

 ある農薬のADIが100、そしてこの農薬が米と麦のみに使われると仮定しよう。米の消費量が多い国では、米から農薬を摂取する可能性が高いので、米の残留農薬基準は10と厳しく定められ、消費量が少ない麦では90になる。逆に麦の消費が多い国では、麦が10になり、米は90──。こうして残留農薬基準は決まる。クロルピリホスメチルについての米の基準は、日本が0.1ppm、アメリカが6ppmだったのは、日本は米の消費量が多く、アメリカは少ないからだ。逆に、消費量が多い食品では、クロルピリホスメチルの基準を厳しくしている。山下氏は言う。

「ですから、個別の食品について残留農薬の基準値を比べ、どちらの国の基準が厳しいかを議論することは適当ではない」

AERA 2013年5月27日号