【無冠の帝王タイプ】

 これはクラシックで主役級の注目を集めながらも勝ちきれなかった馬たちのこと。その元祖ともいうべき存在は1980年のモンテプリンスで、実力は十分ながら皐月賞とダービーでは苦手な道悪に苦しんで4着と2着、菊花賞も2着で無冠に終わった。ただし古馬になった翌年も天皇賞(秋)2着、有馬記念3着と惜敗したものの、82年の天皇賞(春)と宝塚記念を勝って留飲を下げている。

 90年のクラシックでは弥生賞を勝って主役に躍り出たメジロライアンがもどかしい競馬を続けた。皐月賞は2番人気で3着、ダービーでは1番人気も2着、そして菊花賞でも1番人気に推されながら同馬主のメジロマックイーンらの後塵を拝する3着どまりだった。さらにこの年の有馬記念でも奇跡の復活を遂げたオグリキャップの2着。ただし翌91年の宝塚記念でマックイーンを退けて悲願のG1制覇を果たした。

 その息子であるメジロブライトも皐月賞とダービーは1番人気で4着と3着にとどまり、、菊花賞は2番人気で3着だった。ただし彼もその直後から重賞を連勝し、翌年の天皇賞(春)でG1馬となった。

【悲運の世代タイプ】

 いくら実力があっても、さらに上の存在がいれば勝てないのが非情な現実。同世代や前後の世代に傑出したスーパーホースがいたためになかなかG1勝ちに手が届かなかった馬たちも数多い。ちょうど20世紀から21世紀にかかる時代に絶対的な強さを誇って「世紀末覇王」と称されたテイエムオペラオーに惜敗し続けたメイショウドトウはその筆頭的な存在だろう。

 出世が遅れたメイショウドトウはテイエムオペラオーが皐月賞を制し、アドマイヤベガやナリタトップロードらとしのぎを削ったクラシックには間に合わず。4歳の宝塚記念で初めてG1に挑戦してテイエムオペラオーのクビ差2着と善戦した。

 秋はG2オールカマーを勝ってG1戦線に臨むも、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念は全てオペラオーの2着だった。しかもその着差は2馬身半差だった天皇賞はともかく、ジャパンカップはクビ差、有馬記念はハナ差だったのだから悔しさもひとしおだろう。さらに翌01年の天皇賞(春)でも勝ったオペラオーから半馬身差の2着。だが6回目の対戦となった宝塚記念でついにオペラオーに1馬身1/4差の勝利を収め、G1馬となった。

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