それでもやはり、朝に見る人は多い。出かける前の「時計がわり」に見ている人もいれば、家事をしながらという人もいて、ぼーっと見ていても面白いとか、橋田壽賀子が生前よく口にしていたように、耳で聞くだけでわかるというところも大事なのだ。

 その点「おちょやん」はちょっと不親切だったかもしれない。深い世界を描こうとするあまり、役者の表情などをじっくり見ていないと入ってこないのではと感じるときが多々あった。ちなみに「カーネーション」について、従来の朝ドラにはなかった深さを評価する声があがったが、そういう深さを求めすぎて、暗さや重苦しさといったものに走るのは朝ドラとしてはむしろ後退することだろう。

 たとえば、前作の「エール」でも、やたらと暗く重苦しい戦争描写が話題になった。そういうものをやってみたい気持ちもわからないでもないが、朝からげんなりした視聴者も多かったはずだ。

  朝からげんなりといえば「おちょやん」では別の意味で引っかかるシーンがあった。もう芝居はやらないというヒロインを口説き落とすため、塚地武雅扮する芸人が自分の失敗談でなごませようとするのだが、それが「ウンの悪い話」という「おもらし」ネタだったのだ。朝食をとりながら見ている人もいるだろうにと、これはさすがに笑えなかった。

 また、ヒロインの父が死んだあと、みんなでしのぶ場面では「あの人、たまらん臭さやったなぁ」という冗談が飛び出した。ホームレス同然となっていたのでそれはそうだが、これも朝食どきにはいささかそぐわなかったのではないか。

  筆者が朝ドラ有数の傑作と考える「純情きらり」などはそのあたりも行き届いていた。原案の小説ではヒロインが腸結核で早世するため、下痢の描写が出てくるが、ただの結核ということにしてぼかすなどした。朝ドラにはこういうエチケットが必要だ。

 そして、朝ドラに何より大切なものを感じさせてくれるのが、現在アーカイブ枠で再放送中の「あぐり」である。「おちょやん」ファンからはお気楽すぎるという声もあがるほど、ヒロインも周囲の人々も明るく、不幸なことが起きてもあっという間に立ち直り、前向きな展開に切り替わる。かといって、感情の機微の描き方がおろそかなわけでもない。喜怒哀楽をしっかり見せつつ、せりふだけ聞いていてもなるほどとわからせる面白さがあるのだ。

次のページ
逃がしたのはSNSに興味がない層?