エンゼルスの大谷翔平(左)とヤンキース時代の松井秀喜(右) (c)朝日新聞社
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 大谷翔平(エンゼルス)の活躍を支えているのは、生まれ持った才能だけではない。

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 すべてを野球に捧げ邁進するその姿は、米国人からするとまさにサムライ。その実直な野球への取り組み方は、巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜と重なる部分も多い。

「たくさんの人たちに支えられて、今日このメジャーリーグのスタートラインに立つことができて本当に感謝していますし、これからエンゼルスの一員としてファンの皆さんとともに優勝を目指して頑張っていきたいなと思っています」(大谷)

 17年12月9日(現地時間)、本拠地エンゼルスタジアムでの入団会見から約3年半。大谷はあっという間にメジャーでも誰もが知るスター選手となった。投手、打者の両方で高いレベルのプレーを披露し、目の肥えた本場のファンを魅了している。

「野球は国民的娯楽。米国人にとって日常、当たり前に存在するもの。大谷の登場は、これまで見たことないプレーを見せてくれ大きな話題となっている。二刀流という未知との遭遇です。贔屓チームの勝敗とともに、大谷の一挙手一投足をチェックしている人は多い。スポーツニュースでも必ず映像が流れます」(ニューヨーク在住スポーツライター)

 二刀流に関しては、多くの人が無謀と考え、挑戦には懐疑的な意見も目立った。18年に右肘のトミー・ジョン手術を受けるなど、回り道もした。しかし投打においてアメリカでも着実にステップアップを果たした。ベーブ・ルースが唯一達成した「2桁勝利 2桁本塁打」のマークも期待されるが、ここまでたどり着くには日本ハム時代からの綿密なプランと努力があった。

「短期から長期までの目標を定めて成長してきた。日本ハムの育成方針に感銘を受け、メジャーで結果を出すためにNPBでやることを明確にした。5年計画で、投打におけるメジャー仕様のプレイヤーになった。的確なプランに対して、ブレることなく没頭した結果です」(アマチュア時代から知るスポーツライター)

 12年オフのドラフトでは、高卒からのメジャー挑戦を表明していた大谷を日本ハムが強行指名。当初は大谷のメジャー挑戦の意思は変わらないと見られていたが、栗山英樹監督が同席した交渉時には『大谷翔平君 夢への道しるべ』という資料を見せ説得。細部にまで徹底した育成方針を示し、メジャーへの移籍を前提に日本ハム入団を決意させた。

「道が定まってからは迷いがなくなった。NPBで結果を出しつつ、メジャーに通用する肉体と技術を作り上げた。栗山監督をはじめ、組織全体の大きなサポートが大きい。何より大谷自身が揺れることなく野球に向き合った。英才教育を遂行、プラン通りに成長した点では松井と似ています」(日本ハム時代の担当記者)

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