2001年に大阪教育大学附属池田小学校で起きた無差別殺傷事件。犯人である宅間守は2004年に死刑が執行されたが、彼の行動を心理学者の小倉千加子氏が分析する。
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京都府立洛南病院は単科の精神科病院である。そこで副院長を務めていた臨床医の岡江晃氏は、都道府県立の精神科病院は重大犯罪を起こした精神障害者あるいは治療困難な患者の治療を率先して行うべきだと考えていた。
宅間守の精神鑑定を依頼されて、岡江氏は、たとえ世間から非難を浴びても自説を主張しようと心に決めてそれを引き受けたという。
重大犯罪を起こした統合失調症や妄想性障害の人たちは刑罰を受けるべきか治療を受けるべきかについて、氏の考えは明確である。統合失調症なら完全責任能力はない。しかし、大阪拘置所の面会室で宅間守に会って話を聞いてみると、統合失調症との判断はすぐに消えてしまった。
宅間守は統合失調症ではない。これに関しては鑑定人や鑑定助手ら4人の意見は一致した。最近出版された『宅間守精神鑑定書』は、氏が大阪地方裁判所に提出した精神鑑定書をほぼそのまま収載したものである。
岡江氏は宅間守と合計17回の面接をした結果、恐らくそれまでの人間観と医療観を変えたのである。岡江氏が宅間守を「惰性欠如者」という古典的な名称で鑑定したのは、その名称に人格への非難・批判が内包されているからである。
宅間守は大阪教育大学附属池田小学校での事件の前から、数々の粗暴な犯罪を繰り返している。その中には精神鑑定書を読むまで知らなかったことがいくつもある。宅間守には奈良少年刑務所出所後に、トラックやダンプの運転手をしていた時期があった。その時期に宅間守が関係し相手が死亡した交通事故が2回あったという。
「一回目は、『二十五、六歳の頃』の『産業廃棄物を十トンダンプで山奥にゴミ』(原文ママ)を捨てる仕事をしていたときに、『前に腹立つ車がおったから、そいつをあおっとった』ところ、自分の車が『下りのカーブでブレーキ踏んだらスピンして』、『対向の十トントラックにボカーンと当たって』、『十トンの奴が何日か後に死んだ』(笑う)。警察には『向こうがセンター割ってきた』と『嘘』をついて、『不起訴になった』。二回目は、平成四年ころ、トラックを運転中に首都高速の付近で、『乗用車とかぶせあい』となり『割り込んでブレーキ』を踏むことを『十回くらい繰り返して』いるうちに、相手の乗用車が側壁にぶつかり運転者が『アホやから』『失敗して』『死んだ』(笑う)。知らん顔して逃げたので事件にはならなかった」
宅間守は事件と事件の間にしばしば精神科を受診している。1回のみの診察を含めると15人以上の精神科医に診察を受けている。たとえば、強姦をした後に精神科を自ら受診して入院し、学校の用務員だった時にお茶に薬物を混入した事件の後にも警察官と共に精神科病院に来ている。
宅間守を診察した精神科医が各々証人尋問で述べている内容には共通点がある。「注察妄想」(周囲から、あるいは街中などで他人から観察されているという妄想)と「関係妄想」を訴えた。「統合失調症の疑い」(もしくは「統合失調症」)と診断したが、思考の異常は目立たなかった。
宅間守はなぜ自ら精神科に診断を受けに行ったのか。精神科医の一人は証人尋問で述べている。「その診察の後で医局会を開いております。そのときに数人の医者でもって、宅間君のお茶事件について論議して、そして、なんや、これは彼が二十一歳のときの入院も偽装やで、偽装やでというふうな結論に達したわけで」
(この項続く)
※週刊朝日 2013年6月28日号