――そもそも、小説を書こうと思ったのはいつ頃からですか。
小学校の3~4年生くらいから、将来は小説家になりたいと思っていました。というのも当時は友達関係で悩んでいて、学校ではずっと図書館にこもっていたんです。そこで司書の先生が勧めてくれたのが「孤高の人」(新田次郎著)という小説でした。小学生には少し難解でしたが、主人公が1人で山と向き合う姿勢に「孤独でもいいんだ」「何でもうまくやろうとしなくていいんだ」と気分が楽になったんです。その後も人間関係ではいろいろとありましたが、小説の登場人物との会話が私を救ってくれました。学校や会社では集団にひとり「黒い羊」がいると異端とみなされ、邪魔者扱いされる。私はある種そんな存在だったと思います。でも、そんな1匹の「黒い羊」に向けて語りかけてくれるのが小説であり、私もそんな悩みを抱える子どもたちのために本を書きたいとずっと思っていました。
小説もずっと書き続けていて、母と娘の愛憎、介護、恋愛、生老病死などこれまで書いたテーマは多岐にわたります。ありがたいことに、次回作以降のお話も頂いているのですが、過去に書いた物語を基に書き進めている作品もあります。
――小学生の頃の原体験があり、学生時代から小説を書いてきたとはいえ、社会人になって多忙な日々を送る中で執筆時間を確保するのは容易ではなかったはずです。特に警視庁担当の記者となれば、警察幹部への「夜討ち・朝駆け」などで睡眠時間が削られるほどの激務です。そんな環境で小説を書き続けられたのはなぜでしょうか。
端的にいうと、2つの「違和感」が原動力になっていると思います。
1つは目は先ほどお話した、取材をしても本質に迫れていないのではないかというもどかしさです。日々、報道の仕事で「このままでいいのだろうか」という気持ちを抱えており、それをフィクションとして書くことで“浄化”させていたのかもしれません。
2つ目は、私個人がテレビという業界にどこかなじみ切れないような不安を抱えてきたことです。私が入社した1999年は就職氷河期でいわゆるロスジェネ世代ですが、テレビ業界はまだバブルの残り香がありました。周りの人もすごくキラキラと華やかな気がして、私はどこかでずっと自分自身に違和感を覚えていました。自分のいるべき場所は本当にここでいいのだろうか、という思いです。