このメイの加入により出番を奪われ、00年限りで巨人を退団したバルビーノ・ガルベスも、96年5月1日の中日戦で、前出の山崎と死球トラブルを起こすなど、ケンカ投法を売りにしていた。
98年4月16日の中日戦では、3回に李鐘範の前頭部にぶつけて危険球退場になり、同21日の広島戦でも、6回に野村謙二郎の左足にぶつけたことから、怒った野村がマウンドに歩み寄り、乱闘騒ぎに発展した。
この日のガルベスは、5回の自身の打席で三振に倒れた際に、ストライク判定にぶち切れ、友寄正人球審に激しく詰め寄って、あわや退場というシーンもあり、イライラを引きずったまま、6回2死から瀬戸輝信、ペレスに連打されたことで、野村への投球にも悪影響を及ぼしたようだ。ガルベスは走者を出すと、気にするあまり、投球が乱れる欠点もあり、野村にしてみれば、死球を警戒しているときに当てられたのだから、怒るのも無理はない。
それから3カ月後、ガルベスは7月31日の阪神戦でも、相次ぐ判定への不満や大豊泰昭に2打席連続弾を浴びたイライラが高じて、橘高淳球審にボールを投げつける前代未聞の不祥事を起こしたのはご存じのとおりだ。
内角をゴリゴリえぐる助っ人投手は、カルシウムが不足していたという点でも共通している?(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。