少し前の号(6月25日号)で書きましたが、漱石は確固たる死生観の持ち主でした。弟子や友人に宛てた手紙に、
「僕は死ぬまで進歩するつもりでいる」
「余は余一人で行く所まで行って、行き尽いた所で斃(たお)れるのである」
「死んでも自分はある。しかも本来の自分には死んで始めて還(かえ)れるのだと考えている」
と書き綴(つづ)っています。
漱石のように生と死に向き合い、死に対する覚悟を決めているようであっても、いざ死に直面すると「死にたくない」と考えるのでしょうか。
いや、だからこそ「死にたくない」のだと私は思います。死を覚悟することで、生きているうちにやりたいことが、まだあると気づくのです。小林秀雄さんも五味康祐さんも、きっとそういう気持ちだったと思います。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2021年7月23日号