帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
小林秀雄さん (c)朝日新聞社
小林秀雄さん (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「死にたくない気持ち」。

【写真】小林秀雄さん

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【死の覚悟】ポイント
(1)死ぬ前に「死にたくない」と言う人たちがいる
(2)夏目漱石も死に直面したとき、死にたくなかった
(3)死を覚悟して、やりたいことがまだあると気づく

 遠藤周作さんが死について語った『死について考える』(光文社文庫)という本のなかに、小林秀雄さんについてのくだりがあります。

「ある人の口から小林秀雄さんが死ぬ前に、死にたくない、死にたくないと言っておられたということが私の耳に入って来ました。(中略)日本では、死にたくない、死にたくないと言うと、立派じゃないように考えるむきがありますが、私は小林さんが死にたくないとおっしゃっていたとしても、小林さんに対する尊敬の気持ちは変わりません」

 私も全く同じ気持ちです。大作『柳生武芸帳』を書いた剣豪作家の五味康祐さんも、肺がんで亡くなるときに、死にたくない、死にたくないと言っていたと聞いたことがあります。豪快そうに見えた五味さんらしくないエピソードです。

 実は私が大好きな夏目漱石も、同じようなことを『思い出す事など』(岩波文庫)のなかで書いています。漱石は43歳のときに胃潰瘍(いかいよう)の転地療養のために伊豆の修善寺温泉に逗留(とうりゅう)しました。そこで大量に吐血して死にかけるのです。そのときのことを振り返って書かれたものです。

 漱石は800グラムの吐血をしたのち、30分ほど人事不省になりました。周囲の人々は死んだと思ったのですが、カンフル注射などでかろうじて意識が戻りました。そのときに医師たちの会話を聞くのです。

「余の左右の手頸(てくび)は二人の医師に絶えず握られていた。その二人は眼を閉じている余を中に挟んで下のような会話をした(その単語は悉[ことごと]く独逸語であった)。『弱い』『ええ』『駄目だろう』『ええ』『子供に会わしたらどうだろう』『そう』今まで落付(おちつ)いていた余はこの時急に心細くなった。どう考えても余は死にたくなかったからである。(中略)余は今まで閉じていた眼を急に開けた。そうして出来るだけ大きな声と明瞭な調子で、私は子供などに会いたくはありませんといった」

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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