その根拠は、拙著『国体論――菊と星条旗』(2018年、集英社新書)で展開した歴史の反復説にある。戦前期日本は、天皇を国民の父とする家族国家を築いた。通常「天皇制国家」と呼ばれ、当時は「国体」と呼ばれていたこの国家システムは、急速な近代化を図るための装置として機能したが、第2次世界大戦=大東亜戦争によって壊滅する。そのプロセスは、明治期=形成期、大正期=相対的安定期、戦前昭和期=崩壊期の三つの段階に腑分けできる。



 敗戦後、戦前天皇制は、大日本帝国に民主主義が根付かなかった原因であるとGHQによって名指され、天皇の地位は「象徴天皇」へと変更、「国体」は死語となった。筆者が論証したのは、戦後の歴史もまた、「国体」の形成・相対的安定・崩壊の歴史として、つまり戦前日本史の3段階の反復としてとらえうる、ということだ。

 もちろん「戦後の国体」は、戦前のそれと同じものではない。いつの間にか「国体」の頂点は、天皇からアメリカへとすり替わっていたのだ。そうでなければ、「思いやり予算」「トモダチ作戦」など、異常に情緒的な言葉遣いがなされ、ただひたすら「親密さ」がアピールされる日本の対米従属の異様さを説明できない。戦争に負けた結果従わされているという事実を糊塗するために、「愛されている(だから従属・支配関係などない)」という妄想を対米関係の基礎に置いていることが、世界に類を見ない、日本の対米従属の特殊性を成している。

 この「アメリカを頂点とする国体」は、占領期からおよそ1970年代前半までの間に形成・確立された。その後、1990年前後の東西対立崩壊期までの期間では、従属の事実が不可視化される(相対的安定期)が、それは大正デモクラシー期に天皇の存在感が薄くなったのと似ている。そして、大正デモクラシーが社会の根底的な民主化に到達できずにファッショ化の道へと滑り落ちて行った(昭和戦前期)のと同様に、本来は東西対立による余儀なき選択であったはずの対米従属から、東側の脅威が消滅したにもかかわらず脱却できず、逆説的にも対米従属が現在に至るまで強化され続けてきた。

 その結果が、第2次安倍晋三政権・菅政権であり、これらの腐敗・無能・不正に満ちた権力に信任を与え続けてきた日本社会の劣化である。戦後日本の国体化した対米従属は、国際関係の問題である以上に、アメリカの存在を実質的な天皇として機能させることによって、戦前天皇制が半封建的な社会構造を温存せしめたのと同じように、戦後のデモクラシーを内側から腐らせたのだった。

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