新型コロナウイルスの感染者が激増する中、開幕が迫る東京五輪。日本はどこへ向かおうとしているのか。気鋭の政治学者・白井聡氏が本誌に緊急寄稿した。
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本年3月に上梓した著書『主権者のいない国』(講談社)で、筆者は新型コロナ禍の下の日本では「統治の崩壊」が進行していることを指摘した。それから約4カ月を経て、東京オリンピック・パラリンピック中止の決断はついに下されず、「統治の崩壊」はその深刻度をいよいよ増してきた。デルタ株による感染拡大第5波は、半ば冗談として囁かれていた「緊急事態宣言下の五輪」を現実のものとしてしまった。そのようななか、朝令暮改は常態化し、数え切れないほどだ。金融機関を通じた飲食店への「圧力」事件は、その最新版である。
政府が頼みの綱としていたワクチン接種の弾切れは、とりわけ衝撃的だった。河野太郎ワクチン担当大臣は、7月6日に、モデルナ製ワクチンの日本への6月末までの供給量が当初計画の4000万回分から1370万回分へ約6割減少していた、と突然明らかにした。しかも、計画が変更された時期は「正確には覚えていないが、ゴールデンウィーク前くらいじゃないか」とも述べた。この間、政府は「ワクチンは十分あるから接種スピードをあげろ、1日あたり100万回以上を目指せ」というメッセージを恫喝まがいの手段まで用いながら発していた。つまり、政府は供給不足に陥ることを知りながら、無暗矢鱈の接種拡大を進めてきたのである。
ちなみに、筆者の職場(京都精華大学)でも、大学が申請した職域接種が7月末に始まるとの実施見込みが先月末に通知されたが、7月6日には再度通知があり、延期が告げられた。現時点で具体的日程は定まっていない。ファイザー製ワクチンを用いた地方自治体を通した接種も、弾切れ、急減速を起こしている。政権の掲げた最重点政策からしてこの有様だ。「統治の崩壊」ははっきりと加速している。
そうしたなかで東京五輪は、菅義偉首相によれば「歴史的な歴史に残る大会」(7月8日の発言)として実施されるべきなのだそうだが、確かに、この大会は戦後日本、いや明治維新以来の近代日本が行き止まりに達したことを表す象徴になるだろう。