こうした意味でも、『魂のコード』で語られている神話的なイメージは、初版の発行当時よりも、いまこそ必要とされるメッセージだと感じます。

■たかが同じような人生、されどかけがえのない人生

 たしかに自分の人生は自分のものなんだけれども、結局は他の人の人生とまったく違うような新しいことは何もなくて、でも人間は、それを自分だけの1回限りのスタイルで生きることしかできません。

『魂のコード』の復刊にあたって解説文を寄せてくださったユング心理学の第一人者、河合俊雄先生は、こうした枠組みを「どんぐりの背比べ」と表現しています。ヒルマンの言い方だけだと、「自分は特別なんだ!」と自我のインフレーションに陥る危険もなきにしもあらずなわけですが、日本ではこの慣用句にあるように、それを相対化するような表現がある。僕の言い方だと「たかが」と「されど」の間。人生には、普遍性と個別性が同居しているんですね。

 占星術は、この普遍性と個別性の関係を説明するわかりやすいメタファーと言えるでしょう。占星術は天動説で星の巡りをとらえます。必ず太陽は1年で地球の周りを1周するし、月は28日で1周、土星だったら29~30年で1周します。どの人も29~30歳の時に生まれた時と同じところに土星が1周してくるからサターンリターン、どの人にとってもその年齢はある種の転機になります。

 ホロスコープを見ていると、これは自分だけじゃない、みんなに同じような運命があったという思いに至ります。「太陽の下、何も新しいものはない」。辛い時にはこれは励ましになります。みんな乗り越えてきたんだ、と。ただ、これが行き過ぎると、結局自分なんて大勢のなかの一人にすぎない、となってしまう。でも面白いことに、太陽、月、水星、金星……と、全部ホロスコープに書き込むと、何万年たっても、同じ星の配置はリピートしません。
いま、この瞬間の星のめぐりを生きることができるのは自分だけなのです。「たかが」と「されど」でしょう?

 これが人生における普遍性と個別性の関係です。要するに、たかが同じような人生、されどかけがえのない人生ということなのですが、それを1枚のホロスコープは同時的に表現できるんですね。

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