1965年12月に発行された創刊号
1965年12月に発行された創刊号

横尾:僕が「話の特集」を潰したっていう噂が流れ、兄貴に相談したんですよ。兄貴は印刷会社を知っているっていうから、そこで出したらって言って。僕なりに責任取ったつもりなんだけど。

矢崎:寺山修司って人も嘘つきだからね、それに口がうまい。「話の特集」の復活だから、また横尾ちゃんの表紙だねって言ったら、続くかどうかはわからないから、横尾忠則は温存しておこうと。横尾ちゃんを出して、途端に潰れたんじゃ迷惑もかかるし、横尾ちゃんは何するかわかんないから。それでまた会社がやばくなって、みんなにお金出してもらう。手塚(治虫)さんも200万円出したとか言ってたよ。

横尾:和田くんも100万か200万円出したって。僕は当時、仕事がなかったので10万円もないわけなんだけど、うちのカミさんに頼んで困った人がいるんだからと、やっと20万円出した。でもギャラは0円。「話の特集」からは一銭も出ないんだもん。

矢崎:ノーギャラでいいぐらい勝手なことやってるわけだから。それで、いろんな人に話して大変なお金を集めた。邱永漢とかも出てきたりして。

横尾:僕はもうそのころ、自分のアイドルを描き始めて、ワイズミュラーを描いたり、エリザベス・テイラーを描いてたんだけど、アイドルがいなくなったので、今度は友人のシリーズでやったの。だから、和田くんの絵を描いたり、矢崎さんの絵も表紙に描いたり。

矢崎:誠ちゃんが結婚したとき、何か描いたよね。

横尾:ああ、そうね。(平野)レミちゃんと一緒に並んだツーショットね。

矢崎:だからね、私物化してんですよ。でも「話の特集」のエネルギーとか面白さというのは、やっぱり横尾ちゃんなしには存在しなかった。横尾ちゃんはね、篠山紀信と一緒にインド行ってね、何やっているかわかんないけど、締め切りになると絵はちゃんと描いてね。横尾ちゃんって不思議な人だね。僕、ベトナムへ行ってポル・ポトに殺されかけて、なんとか帰ってきて、横尾ちゃんに会ったら矢崎さん描こうって、ベトナムの地図を後ろにして。編集長が表紙になる雑誌は珍しいよね。

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