1968年の矢崎さん(左)と1969年の横尾さん
1968年の矢崎さん(左)と1969年の横尾さん
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 多彩な執筆陣とアートディレクションで日本の雑誌文化に大きな影響を与えた「話の特集」の元編集長・矢崎泰久さんと、表紙絵を描いた横尾忠則さんの、50年のときを超えた濃密な対談が実現した。と思ったら、矢崎さんの一人舞台。今明かされる「話の特集」の創刊から終刊の顛末。知られざる横尾さんの本当の姿……。横尾さんは終始圧倒されて、ただただ聞き役となった。

【写真】終刊号になったサンタクロースが首を吊る姿の表紙はこちら

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矢崎泰久:横尾ちゃんに会って知りたかったのはね、(和田)誠ちゃんと最初に会ったのは、どういうきっかけがあったの。

横尾忠則:それはね、矢崎さんが一番よく知っているじゃない。矢崎さんの口から説明してもらったほうがいいですよ。

矢崎:横尾ちゃん、デザイン会社にいたでしょ。

横尾:日本デザインセンター。和田くんと知り合ったのは田中一光さんの家だった。

矢崎:「話の特集」をつくるとき、誠ちゃんは表紙は横尾ちゃん以外に考えられないって。どうして誠ちゃんが、横尾ちゃんに惚れ込んだのかが全然わかんなかった。僕は横尾ちゃんの絵がわかんなかった。

横尾:それはね、矢崎さんに限らず、デザイナー仲間みんなに何がいいのかわからないと言われていた。

矢崎:横尾ちゃんは普通の人と違うって言うんですよ。横尾ちゃんを表紙にしないなら、仕事しませんって言うの。そのころは親父の会社(日本社)だったから僕には権限がないわけ。

横尾:和田くんに説得されて。矢崎さん、仕方なく表紙に使ってくれたね。

矢崎:この絵は嫌われるから使わないって言うんですよ、親父が。でも誠ちゃんは横尾忠則の絵じゃなきゃやらない。それで横尾ちゃんと心中する、横尾ちゃんの表紙でいくとなった。

横尾:「話の特集」って元々はエロ本のタイトルだって言っていたけど、そうなの? お父さんの日本社って、エロ本つくっていたよね。僕の思想には合うタイトルだった。

矢崎:横尾ちゃんがこのタイトルは、僕の描く絵に合っているから、これでいこうよって。

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