まさに歴史的快挙を成し遂げた。
30日、フェンシングの男子エペ団体決勝で日本(見延和靖、加納虹輝、山田優、宇山賢)はロシア・オリンピック委員会(ROC)に45―36で勝利。この競技で日本勢初となる金メダルを獲得した。
1回戦では米国相手に逆転勝ち、準々決勝ではリオ五輪金メダルのフランスに競り勝った。その勢いのままに決勝でも勝利し、優勝を勝ち取った。
「週刊朝日」は2019年11月29日号で東京五輪期待の選手として見延の記事を掲載。個人戦だけでなく団体戦についての思いも語っていた。日本選手として初めて年間の世界ランキング1位を記録した見延は、謙虚ながらも「攻める」姿勢を貫いていた。
* * *
前年の世界ランキング1位の選手が五輪で金メダルを取る可能性はどれくらいか。そう聞くと、見延は悩みながら答えた。
「高くはない。50%もない。20~30%ぐらいでしょうか」
フェンシングは、番狂わせの多い競技と言われる。個人戦は15点先取で決まる短期決戦だ。五輪でも、世界ランキング1位の選手が負けることは決して珍しくない。過去には100位台の選手が金メダルを取ったことがある。
今年7月にハンガリーであった世界選手権男子サーブルで、世界ランキング41位(11月14日現在)の吉田健人(警視庁)が五輪2連覇中の地元の英雄アロン・シラギを破ったのがいい例だ。ましてエペはフェンシングの中で最も人気があり、競技人口が多く、層も厚い。見延といえども、うかうかしていられない。
「40歳までフェンシングを続ける。まだまだ成長できる」
と見延は言う。多くの五輪選手が幼少期からその競技にいそしむ中、見延がフェンシングを始めたのは高校に入ってからだ。
福井県出身で、小学校では空手、中学校はバレーボールとどれも抜群の運動神経で上手にこなしていた。なのに、なぜフェンシングだったのか。
きっかけは父の勧めだった。勉強が決して得意ではなかった見延に、
「フェンシングで全国高校総体で上位に行けば、東京の大学の推薦がもらえる」
と教えてくれたからだ。全国でもフェンシングの強豪と言われる福井県立武生(たけふ)商高に進学した。