野球を始めた頃から素振りは生活の一部で特別なことではなかった。松井氏の両手は素振りによってできたマメが幾重にも重なって、分厚くなっている。大樹で言うところの年輪であり、強打を支える礎だ。素振りの習慣はメジャーへ行っても変わらなかった。国際電話を通じて素振りの音を長嶋氏に聞かせ、指導を仰いだこともあった。

 また野球に対する真摯な姿勢とともに、メディアへの対応も素晴らしかった。

「本来は口数も多くない。でも自分を支えてくれるのはファンという思いが強かった。無理をしてでも話題を提供してくれた。巨人時代、シーズン中もオフも、1日1件の取材は必ず受けてくれた。調子が悪い時は断ってくれても構わないが、そんなことは一切なかった。球団関係者、マスコミ関係など、ゴジにどれだけ助けられたのかわからない」(巨人関係者)

 あれだけのスター選手であれば、近寄りがたい部分があってもおかしくない。「野球選手はグラウンドで素晴らしいプレーを見せればいい」という考えも間違いではない。しかし常にファンに向けて情報を提供し続けた。現在の選手がSNSを通じて情報を発信するのと同様、いやそれ以上のことを松井は発信し続けてきた。中には「そこまでしなくても……」と思えるものさえあった。

「契約更改はマスコミの数が異常に多かった。記者会見では金額も含めて、オープンに語ってくれる。また最後の撮影では、バズーカ砲のクラッカーを発射するのが年末の風物詩。松井自身も心得たもの。知らないふりをして帰宅しようとするなど、ボケもかましてくれる。良いのかな、と思いつつも、我々もかなり甘えさせてもらった」(巨人担当記者)

 球団事務所で行われる契約更改後の記者会見はまさに独壇場。会見場には爆笑が絶えず、どんな質問にも答えてくれる。そして恒例の写真撮影では“メディア映え”する表情も忘れずにしていた。芸人顔負けのサービス精神をとことん発揮してくれたのを覚えているファンも多いだろう。

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ファンとの交流も忘れなかった松井氏