
健常者との比較で語られがちなパラリンピック。作家の岸田奈美さんは、バリアフリーを手がける会社の在籍経験から、その違和感を指摘する。AERA 2021年8月16日-8月23日合併号から。
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オリンピックは楽しんで見ていました。私はスポーツをやるのも見るのも好きじゃない、典型的な運動音痴。でも今回のたとえばスケートボードなんて、泣くほど感動してしまって。話題になった「13歳、真夏の大冒険!」の実況や解説の魅力にハマりました。
以前バリアフリーを手がける会社にいたときは、リオオリンピックでは現地で車いすなどが使いやすくなっているかを調査して発信したり、平昌オリンピックでは心臓病の後遺症で車いす生活の母と一緒に現地のバリアフリー状況をチェックしに行ったり、私にとって「オリンピックといえば仕事」でした。
でも、現地の実況は言葉がわからないので競技の面白さもわからずじまい。今回、解説者のおかげでどの競技も「こんなに面白かったのか」と気づきました。
細かい楽しみ方も見つけました。選手がついさっきまで戦っていた相手と手をつないでいるのを見て、「あれ?」と調べてみると二人はジュニア時代から戦っていた、とか。そんなバックグラウンドを知ってしまうと感情が流れ込んできてしまい、よけいに興味がわくんです。
ツイッターを横目に「いまの、すごかったねー」とかタイムラインでしゃべりながら観戦していました。そんな人、多かったのでは、と思います。もはやタイムラインが観客、という初めてのオリンピックになったかもしれないですね。
今年4月には母と、ダウン症の弟と一緒に、聖火リレーに参加しました。一度は病気で命を落としかけた母の「元気な姿をみんなに見せたい」という気持ちはすごくよくわかったし、弟も久しぶりにこういうイベントに乗り気になってくれて。
一方で、コロナ禍での聖火リレー実施には、さまざまな反対意見もたくさん聞きました。でも、私たちが断ったところで他の誰かがやらないといけない。顔が見えない人たちからの不信感よりも、尽力してくださった方や現地のボランティアスタッフの方など、顔が見える人に喜んでもらうことを大事にしようと、参加は家族で決めました。「見たよー」という連絡も多くいただき、参加してよかったと思っています。