毎週水曜日は「スゴろく」出演のため甲府へ。中央のメインMCケンキからは「太郎ちゃん」と呼ばれている(撮影/篠塚ようこ)
毎週水曜日は「スゴろく」出演のため甲府へ。中央のメインMCケンキからは「太郎ちゃん」と呼ばれている(撮影/篠塚ようこ)

 テレビとは、「進ぬ!電波少年」。01年、「○○人を笑わしに行こう」という、矢部が外国語を覚える企画が始まった。マンションの一室に“軟禁”されてのスワヒリ語学習から始まり、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語と11カ月で4カ国語を身につけた。有吉弘行ら人気者をたくさん生んだ番組だが、ブームは過ぎていた。矢部の企画も視聴率はさほど上がらなかったが、出演後、カラテカの仕事は増えた。それまでただ楽しいだけだったお笑いが、この番組で変わったと、矢部。

「お笑いは仕事で、一生続くんだと思うようになりました。責任感も芽生えたんでしょうね」

 一方、そんな生活を続けたことの影響も出た。

「入江君にもマネージャーにも性格が変わったと言われました。もともとあったかもしれないですけど、内省的になったということかと思います」

 マネージャーとは、現・興行会社スラッシュパイル社長の片山勝三(48)。吉本興業入社2年目の1998年に、カラテカのマネージメントを買って出た。面白いことを考え出す矢部の力は卓越していたから「電波少年」で上昇気流に乗れると思っていた。だが1年近いブランクで「矢部の(笑いの)触覚が鈍ってしまった」と片山。そこからカラテカには遠回りさせたと後悔を口にする。

 間もなく片山は、矢部に気象予報士の受験をすすめる。07年、3回目で合格すると、すぐにお天気キャスター・矢部をテレビ局に売り込んだが、うまくいかなかった。「お天気は、女子に教えてもらいたいんでしょうね」と片山。

 一方で矢部に俳優の仕事が増えていく。04年・三谷幸喜作の大河ドラマ「新選組!」、06年・映画「晴れたらポップなボクの生活」、08年・つかこうへい作・演出「幕末純情伝」で土方歳三役に抜擢(ばってき)される。

 つかは「さんまのスーパーからくりTV」に出ている矢部を見てオファーした。カラテカで5年以上、「前説」の仕事をした後につかんだ出演だった。公演の記者会見でつかは「矢部さんは、悲しいのがいい」と言った。それがつかとの初対面。

「滑稽は悲しみと表裏というか、僕の中にあるそういう部分を見つけてくださった。滑稽であればあるほど、フリになってペーソス(悲哀)につながる。出演して、その構造を体感しました。芸人としての僕の表現があったから広がるんだ。そういう気持ちになりました」

『大家さんと僕』もこういう体験があったから描けた、なかったら面白さを追求したギャグ漫画にしたかもしれないし、そもそも大家さんの良さが見えなかったかもしれない。そうも語った。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年Amazonプライムデー開催間近!いつから開催か、おすすめの目玉商品などセール情報まとめ。八村塁選手が厳選したアイテムを紹介する特集も!
次のページ