「まだことは終わってませんし、パラリンピックも終わってません。ならば、勇気をもって次のページをめくりにいく姿勢が自分には必要なのかなと。その結果、また自分にとってうれしくないページが来るかもしれないけれども、一人で受け止めることができなければチームのみんなに一緒に背負っていただいて一緒に泣こうかなと思ってます」
日本パラ陸上競技連盟の指宿立強化委員長も会見に出席し、抗議書を提出したものの判定は変わらなかったことを明かした。クラス分けは最初の出場種目を観察して最終決定されるため、29日のT53の400メートル後にT52に戻る可能性が残されてはいる。だが、伊藤が最大の目標に据えてきた同日のT52の400メートルには出場できない。
T53で最終確定した場合について、伊藤はこう言った。
「クラス分けが選手の人生を大きくかえるのは事実。でも、クラスが変わったらチャレンジをやめるという理屈には結びつかないのかなと。ただ、現実問題を言いますと、私のやっている競技用車いすのクラスは、ひとつ変わるとまるで高校生と小学生の運動性の違いがあるので、あきらめずにチャレンジはできたとしても、それがパラリンピックへの道になるということは、残念ながらもうないと思います」
ただ、こうも語った。
「私は非常にあきらめの悪い人間でありますので、(T53のレースも)全力で走ってT52と判定をいただけることを信じて、最後まであきらめることなく、私の走ったタイムがT52でどの位置になるか期待を込めて必死に走りたいと思います」
伊藤はパラリンピックに過去3大会出場。08年北京大会で金メダル2個、12年ロンドン大会で銀メダル3個を獲得し、現役を引退した。東京大会の開催が決まると現役に復帰し、19年世界選手権男子400メートルで銀メダル、同100メートルと1500メートルで銅メダルに輝き、東京大会出場を決めた。いずれもT52だった。
(編集部・深澤友紀)
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