
現役時代は、私が西武、兆治さんがロッテのエースで、何度も一緒に投げ合い、同じ時代のパ・リーグで覇権を争った。当時は近鉄の鈴木啓示さん、阪急の山田久志さんと個性豊かなエースが大勢いた。オールスターでも絶対に負けたくないと思って投げていた。当時の各球団のエースと言われる選手はみんなそうだったと思う。
なかでも兆治さんは野球に対して頑固だった。負けん気も強かった。直球とフォークの投手だったが、1970年代に野村克也さんが南海監督で、ブレイザーが三塁コーチを務めていた時、兆治さんのフォームはボールの握りが丸見えで、ブレイザーはフォークを投げる時に口笛で打者に伝えていたことを覚えている。それに兆治さんは怒って、それでも意地でフォークを投げ続けた。
私の1学年上ではあるが、同世代で戦った大切な戦友を失ったことは残念でならない。
心からご冥福をお祈りしたい。
東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝
※週刊朝日 2022年12月2日号