日々失われる仲間の命、大切な人を殺された過去。その思いを共有しているはずの耀哉と義勇が鬼をかばうことに、実弥は激しくいきどおった。これは不死川実弥という人物の本質が、仲間思いで、柱としての責任感が強いことの裏返しだ。
■実弥と禰豆子
<わかりません お館様 人間ならば生かしておいてもいいが 鬼は駄目です 承知できない>(不死川実弥/6巻・第46話『お館様』)
そして、実弥は自らの腕を傷つけ、その血を禰豆子に見せつけた。禰豆子は直前に実弥の日輪刀でケガをさせられており、傷の修復のために飢餓状態も高まっていた。しかし、禰豆子は実弥への攻撃と捕食をなんとか思いとどまる。この一件をもって、禰豆子が人間を襲わないことの証明は終わり、実弥もいったんは竈門兄妹の処罰を諦めるしかなくなった。
なぜ、実弥はこんなにも鬼に怒るのか。他の隊士たちも、同じような境遇で苦しんでいるのに、一応は我慢し、実弥ほどは禰豆子への処罰を強くは主張していない。
■実弥の怒りの理由
実は実弥は、自分が「もっとも信頼する人物」が鬼化させられており、その時に大切な人を複数失っている。実弥の傷は、鬼殺の任務中に負ったものもあるが、その中には、当時の事件の傷も残っている。
鬼化がもたらす「人格的変化」を目の当たりにしているからこそ、実弥はすべての鬼を信用できない。かつて鬼化した「もっとも信頼する人物」への愛情の深さゆえに、鬼化=その人物の人格の死、と理解しているのだ。
さらに実弥は、自分の実弟を鬼の脅威から守るために鬼殺隊へ入隊している。鬼には知性があり、言葉をあやつり、時に人間に擬態もするため、人間をだますことも容易である。鬼の強大なパワーも考慮すると、鬼殺隊隊士は、鬼に遭遇した瞬間すぐに滅殺する体勢をとらないと、被害が増えることは明白なのだ。
これらの理由から「鬼を全て駆逐すること」を誓っている実弥の思考と判断は間違っていない。