また野田さんは、不妊治療や生殖医療に関する法案を菅政権の中で推し進めてきた。フェムテックという、女性の健康をテクノロジーでサポートするマーケットにも意欲を燃やし、女性身体にまつわる政策にも熱心だ。とはいえ野田さんが反対の声を封じるようにスピード成立させた生殖補助医療法は、卵子提供ビジネス、ゆくゆくは代理母ビジネスに大きく道を拓くものであり、フェムテックに関しても「(女性のためという)きれいごとではない、経済としてフェムテックに関わりたい」と明言しているようにビジネスの要素がとても強い。野田さんがそういう人というより、女性身体や生命倫理に関わる繊細な問題もビジネスにしなければ政治マターにならないのが自民党、ということなのかもしれない。そういう意味で野田さんは、母であると同時に鉄だ。
女性が女性のままリーダーになれず、女性を軽く裏切ることが公平であるかのような顔をして、政治信条よりも組織に忠誠を示すことが政治家として優先される政治を、自民党の女性政治家の横顔にみてきた。なぜこうも、女性リーダーのイメージは冷淡なのか。
フェミニストで政治研究者の岩本美砂子氏による『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』(岩波書店)を読んだ。総理の椅子に最も近づいた2人の女性政治家としての歩みを、女性週刊誌の小さな記事から論文まで膨大な資料をもとに緻密に描きだすものだった。土井さんと言えば89年の「マドンナ旋風」という言葉とセットのように語られる。高市さんなどは当時から“マドンナ”には否定的で、台所から政治を変えるなんてハァ? というような“中高年女性”をバカにする様子が著書からははっきりと窺える。もちろん当時から、高市さんのような視線は決して珍しいものではなかった。それは今にいたるまで土井さんの評伝がほとんど書かれていないことと通じるだろう。この社会に土井さんを政治家として正当に評価する視線が欠けていた。