「ヒロシマ」が世界に広まったのに対し、日本では報道統制があり、翻訳が出たのは1949年。米国に留学経験がある谷本清牧師らが訳した(撮影/津山恵子)
「ヒロシマ」が世界に広まったのに対し、日本では報道統制があり、翻訳が出たのは1949年。米国に留学経験がある谷本清牧師らが訳した(撮影/津山恵子)

 キャノンは現在、よみがえった広島と「ヒロシマ」から歴史を学び、社会問題の専門家やアーティスト、ジャーナリストらが平和と核廃絶への活動を広げる「zero project」に参加している。17年からは広島市などの協力を得て、広島とニューヨークで、被爆樹木と米同時多発テロで生き残ったサバイバーツリーの交換プログラムを計画。19年には広島平和記念資料館と協力し、焼けた茶碗など被爆資料の3D映像化プロジェクトを始めた。

■アートでさらに拡大

 しかし、キャノンが「ヒロシマ」関連の活動を始めたことで、反発による“バックラッシュ”も大きかった。アートのクライアントの「3分の1から半分を失った」(キャノン)。ジョンが家族とともにノースカロライナ州に「避難」したことを連想させる。

 今日でも、原爆についての情報を発信することは「反アメリカ」と捉えられるリスクが小さくない。米調査機関ピュー・リサーチセンターの15年の調査では、65歳以上の70%が原爆投下は「正当だった」と答えている。

 しかし、キャノンは活動の手応えも確実に得ていると言う。同調査で、18歳から29歳の若者については「正当」という答えは47%と、年配層よりは割合が減ってきている。

 また、核兵器禁止条約を各国政府に求めるため、日本の団体も参画する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN、本部スイス・ジュネーブ)が2017年、ノーベル平和賞を受賞した。「核廃絶」に向けた世界的なうねりの「一部になった実感がある」とキャノンは笑みを浮かべた。核兵器禁止条約は同年国連で採択され、今年1月22日、発効にこぎつけた。

 キャノンのアートには、広島のサバイバーツリーである被爆樹木のシルエットがよく使われる。19年に広島で取材した際、こう語った。

「サバイバーツリーが蘇った力が、僕らや将来の人々に勇気と希望を持たせてくれる。だから先に向かって進める」

 キャノンは、ジャーナリスト、ジョン・ハーシーの思いを受け継いでいる。世界に原爆の真実を暴いたジョンの「ヒロシマ」は、現在と将来に残された道標である。キャノンは、それをアートや活動を通じ、ジャーナリズムを超えてさらに拡大する力を備えている。(敬称略)(ジャーナリスト・津山恵子)

AERA 2021年10月4日号

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