
「夢って、起きるとぱっと消えてしまう。いるのに、いないように感じたりする。オルドスにはたくさんのマンションがあるのに、住人がいない。そんな不在の感覚を知りたくて、出かけた。写真が撮れなくてもいいから、その感覚を探りたかった」
台湾を訪れると、日本のように整備されていない道路がぐねぐねとうねっていた。
「それがシュールレアリスムへの入り口のように感じられた。そこでの夢のような体験が次の発想へとつながり、途切れることなく、ずっとつながってきた」
写真を意識し始めたのは高校時代。ファッション誌が好きで、「VOGUE」などをよく手にした。
「1枚をどれだけ強く見せられるか、『つくり込んで見せる世界』。そんなふうに写真をとらえていた。だから、昔から写真は『撮る』ではなく、『つくる』と言っていた」

■想像力が膨らむ1枚をつくる
本格的にカメラを手にしたのは04年、関西大学中国語中国文学科に入学したときだった。
「ほんとうに偶然というか、流れるままに写真部に入った。なんだか、居心地がよさそうで」
ほかの部員たちが花や友だちの顔を撮ったりするのに対して、「私はわりと最初から『それじゃない』という気持ちがあった。ほかの人にモデルをお願いして、セッティングして、つくり込んで撮影した」。
大学卒業から3年後、作品「風を食べる」がキヤノン写真新世紀グランプリに輝いた。
「この受賞は自分を後押しをしてくれた。これからも自分のやりたいことを信じて、やり続けていいんだ、と思った」
赤鹿さんの作品の基本は「人」「物」「場所」の組み合わせだそうで、「この3つの組み合わせで10年以上つくってきた」。
初期の作品はかなり派手だったという。「そこに自分が現れていて、いかにも『私がつくりました』と、主張するような写真だった。でも、最近は極力シンプルにいきたいと思う。いかに少ない要素で、想像力が膨らむ1枚をつくれるか」。
それは「もはや、誰がつくったのかもよくわからないような写真」。
「もしかしたら、スナップ的な撮り方をしたものかもしれないし、つくり込んで写した写真なのかもしれない。その境目があいまいな、ギリギリの感じに写ればいい」