生前の佐戸未和さん
生前の佐戸未和さん

 未和さんの死後も、労働環境が改善されていないことをうかがわせる点がある。亡くなる直前、二人がともに選挙取材を経験していることだ。

 05年、NHKに入局した未和さんは、鹿児島放送局を経て首都圏放送センターに赴任。13年の夏は東京都議選と参院選が続き取材に奔走していた。厚生労働省は、労働者が脳や心臓の疾患を発症する前の1カ月間に100時間以上、または2~6カ月間で月平均80時間以上の時間外労働があった場合、業務との関連性が高いとする目安(過労死ライン)を定めている。未和さんの場合、亡くなる前1カ月の時間外労働は遺族側の算定では月209時間相当。労働基準監督署の認定でも月159時間相当にのぼり、過労死ラインを大きく上回っていた。

 一方のAさんは97年、NHKに入局。記者として都庁や経済部を担当した後、都庁キャップとなった。19年夏は参院選があり、他にも東京五輪や台風の取材に追われていた。NHKの勤務記録によれば、亡くなる前1カ月の時間外労働はおよそ74時間相当。5カ月間の平均はおよそ92時間相当で、未和さん同様、過労死ラインを上回っていた。

 Aさんも未和さんの死は知っていたはず。なぜ悲劇は繰り返されたのか。首都圏放送センター時代の未和さんの同僚は、改革の余波を指摘する。

「『働き方改革宣言』以降、労務管理は厳しくなり、現場記者の負担は減りました。一方、あおりをくらったのが中間管理職です。部下を休ませなければならない一方、特ダネも取らねばならず、現場業務と管理業務の両者を担うプレイングマネジャーと化し、仕事量が増えていました」

 これでは「改革」は表面的なものに過ぎなかったと見られても仕方ない。

 Aさんの労災認定後の対応にも疑問が残る。

 NHKはAさんが亡くなった当時の上司である専任部長、労務担当の副部長に減給、当時の首都圏放送センター長も役員報酬の1割を3カ月自主返納すると発表している。だが、未和さんが亡くなった当時の関係者に同種の処分は行われていない。なぜ、対応に違いがあるのかを広報局に尋ねると「佐戸未和さんが亡くなったことを受けて、労務管理を抜本的に見直したにも関わらず、それが徹底されていなかったことを重くみて、管理責任を問う必要があると判断しました」と回答があった。未和さんが亡くなった当時の対処には視線を向けない姿勢が感じられる。

暮らしとモノ班 for promotion
【フジロック独占中継も話題】Amazonプライム会員向け動画配信サービス「Prime Video」はどれくらい配信作品が充実している?最新ランキングでチェックしてみよう
次のページ